日本人とリズム感 ―「拍」をめぐる日本文化論―

リズム感は身体を動かしたり、演奏をしたりするなどの上で大切なこととされている。もっともリズム感は天性で得ているものもある一方で練習を行うことで身につけることができる側面も存在する。とはいえど、日本人とリズムとの関係は特殊であり、なおかつどのような変化を辿っていったのかは誰にもわからない。本書はその日本人とリズムにまつわることについて文化の観点から考察を行っている。

第1章「「ものおと」の気配」

リズムを取ると言うことは会話の中でも存在しており、とり方でもって、そのまま続けられる要素がある。もっとも私自身は演奏のリズムは取れど、会話をする際のリズムを取ることが苦手で、いわゆる「コミュ障」になったことさえある。もっとも音についても「物音」などの所でもリズムとなり得る。また音だけでなく「もの」といった言葉にも存在するという。

第2章「リズムの方向」

もっとも言葉を話すところでもまた「リズム」は存在する。それはトークスピードといったテンポもあるかもしれないのだが、それだけでなく、いわゆる母音や子音といった言葉の聞き分けにおけるリズムというものもある。言葉とリズムとなると、歌のジャンルにおけるラップのように韻を踏むと言うのもまたリズムの一つとも言える。

第3章「模倣のリズムと情景の模写」

リズムを奏でるのは何も楽器による演奏、声に出しての歌や会話ばかりではない。ダンスもまたリズムを奏でる要素の一つである。本章ではダンスの中でもバロック・ダンスやバレエといったものが中心となる。もっともダンスにしても、演奏などにしても、上達するためにはある種の「模倣」を行うこともまた一つであるため、その「模倣」とリズムの醸成についても本章にて言及している。

第4章「リズムの距離」

リズムと距離は相容れないように思えて、実は擬音表現などでリズミカルな表現でもって、距離を表現している。少し哲学的、もしくは言語学的な要素が入ってくるため、とっつきにくいのだが、言葉における「もの」や「こと」を距離として表すことができるという。

第5章「「ソ」の裏側」

リズムを銘する本だと、どうしても音階の「ソ」を連想してしまうのだが、ここでは日本語において「ソ」の発音がリズムにどのような影響を及ぼすのかについて考察を行っている。

第6章「「なつかし」のリズム」

リズムの変化における「なつかしい」ではなく、「なつかし」と言う言葉がリズムにどのような影響を与えているかについてである。もっとも「なつかし」は古文にも用いられるが、どのようにリズムとして取っているのかを和歌と共に取り上げている。

本書は「日本文化論」と題しているのだが、ある種の「日本語論」の一つとして捉えた方が良い。というのは日本語は独特の音感もあれば、リズムも存在する。特に後半に至ってはよくある古典や和歌などからどのようにしてリズムとしているのかが中心となっていく。もっとも日本語におけるリズムは独特であるため、その部分を考察するだけでも面白味がある一冊と言える。