隠された奴隷制

すでに「奴隷制」そのものは、欧米では19世紀、他の地域でも遅くとも20世紀には完全に廃している所がほとんどであり、今となってはほとんど存在しない。しかし紀元前以前から階級制や身分制といったものがあり、その中でも最も下の所で「奴隷」と言う存在があった。また海外で植民地化し、その非植民地の民たちを奴隷として扱う国も存在した。

ではこの奴隷制を政治思想、あるいは経済思想のなかでどのような定義をなされてきたのか、本書ではそのことについて取り上げている。

第一章「奴隷制と自由―啓蒙思想」

啓蒙思想として、本章ではロックモンテスキュールソーヴォルテールといった4人の思想と奴隷制の考え方について取り上げている。特に自由主義の萌芽の時代であったが故に、奴隷制に対しての批判も見られる。

第二章「奴隷労働の経済学―アダム・スミス」

では経済学的な観点から奴隷制はどのようなものだったのか。本章ではアダム・スミスの経済思想から奴隷労働はどのような役割を担っていたのかを取り上げている。

第三章「奴隷制と正義―ヘーゲル」

ヘーゲルが奴隷制について考察を行っている中で最も際立っている所では1791~1804年に起こった「ハイチ革命」の考察である。当時はアフリカ人奴隷の叛乱があちこちで起こったが、フランスの統治から解放し、自由黒人だけの共和国としてハイチ共和国を建国し、独立を勝ち取った革命戦争だった。ヘーゲルはこのハイチ革命をどう見て、さらに欧米を含めた国々はどのような奴隷解放に向けて動き出したのか、そのことについて取り上げている。

第四章「隠された奴隷制―マルクス」

「奴隷制」と言っても、身分における奴隷といったものもあれば、いわゆる「強制労働」で働かせて、あたかも「奴隷」のように扱うと言ったものもある。定義としては様々であるものの、本章ではマルクスが「資本論」などにおいてどのようにして奴隷制を紐解いていったのかを挙げている。

第五章「新しいヴェール―新自由主義」

制度上の「奴隷制」はほとんどなくなっているのだが、マルクスが取り上げた「奴隷制」の定義は本章で取り上げる「新自由主義」が広まったときに、考えられるようになった強制労働ではないものの、よくネットなどでも「社畜」として働く、あるいは長時間労働させられ過労死、あるいは過労自殺に追い込まれるといった動きがある。

第六章「奴隷制から逃れるために」

そう考えると、制度上の奴隷制はなくなっているのは確かであるのだが、実質的に奴隷制は続いているという他ない。しかしながら、どのようにして奴隷制から逃れる、あるいはなくなっていくのか、考えていくだけでも果てしない道である。

本書のタイトルである「隠された~」は元々マルクスの「資本論」に記載されていたものである。制度上の奴隷制はほとんどないことは書いたのだが、ありとあらゆる形で奴隷制は敷いていないものの、実質的に奴隷としてこき使っているような現状はまさに「隠された」と言う言葉が似合うのかも知れない。