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日本人

日本人のしきたり―正月行事、豆まき、大安吉日、厄年…に込められた知恵と心

新年あけましておめでとうござます。 本年もよろしくお願いいたします。 2010年最初の書評は、正月や節分など様々な行事がなぜ行われているのか、日本独特のしきたりとはいったい何なのかについてです。 正月、節分、ひな祭り、端午の節句、お盆、お彼岸・・・ 行事を挙げるだけでも枚挙に暇がない。さらに地域ごとの行事を足すと、何倍にも何十倍にもなるだろう。しかし日本人はそういった「しきたり」と言うのを大事にし […]

仕事と日本人

近年は労働基準法の改正や「ワーク・ライフ・バランス」が提唱されたことにより、若干ではあるが日本人の平均労働時間は減少しつつある。しかし、それでも過酷な残業やサービス残業というのは後を絶たない。労働状況というのもあるが、自ら進んで残業をやる、残業代が出るからという理由で無駄な残業をするという人もいる。あれだけ「残業を減らそう」と唱えていてもこういう状況ではある種の無駄骨と言わざるを得なくなるが、日本 […]

テレビは見てはいけない

本書のタイトルを見て「ドキッ!」とした方はどれくらいいるのだろうか。 今の私は特別なこと(とはいっても「F1」くらいしかないのだが)以外はTVを観ない。TVを観るよりも本を読んだり、ネットサーフィンしたりしている方が好きだからである。もっともTVも最近はあまり面白い番組がないことも理由の一つとして挙げられるが。 ふと時間が空くと必ずTVを観るという人は今も昔も少なからずいるだろう。しかしTVは非常 […]

裸でも生きる2 Keep Walking私は歩き続ける

株式会社オトバンク 上田渉様より献本御礼 本書は「裸でも生きる」の続編であり、著者がバングラデシュで更なる葛藤、そしてバングラデシュを離れ、ネパールに移り、また事業を興すという話である。前書「裸でも生きる」からの3年間の生きざまをまとめたものである。 第1章「情熱の先にあるもの」 最初にも書いたとおり本書は一昨年に東京の下町にてバングラデシュ発のブランド直営店を回転させたところから始まる。 ブラン […]

熱狂するシステム

人は誰もが熱狂する者を持っているだろう。とりわけ日本人は「熱しやすく、冷めやすい」というのが的確なのか、「熱狂する」と連日のようにメディアで取り上げられる。少し前であったら「冬ソナ」を引き金とした「韓流ブーム」というのが社会現象にまで発展するほどにもなった。メディアのせいというのもあるが、そう言った者につられる国民性だからかもしれない。 本書はその「熱狂」を科学的に考察をする何ともユニークな一冊で […]

風呂と日本人

おそらく「風呂」という沐浴文化がある国は非常に少なく、日本はその一つにあるが、宗教性よりも、日課・レジャーの要素が多岐にわたる「風呂」文化があるのは日本ぐらいであろう。今となっては観光として温泉を愉しんだり、家庭でも戦闘、もしくは楽しみや癒しのための入浴剤があるほどである。単に風呂と言っても楽しみ方は人それぞれである。 ではなぜ日本にはこのような「風呂」の文化が栄えたのか、もともと「風呂」の起源は […]

悲しき横綱の生涯―大碇紋太郎伝

横綱朝青龍が5場所ぶり23回目の幕内優勝を飾った今年の初場所。先頃までの横綱の品格や八百長問題が飛び交ったのを一気に吹き飛ばした感じであった。あれだけ批判していた漫画家のやくみつる氏も今回ばかりはさすがに称賛した(ただし、立ち振る舞いは非難したが)。しかしそのような状況でも角界の課題は山積の状態が続いていることは事実である。 さて本書の話に入るが、本書はいまから100年以上前の角界の様子、とりわけ […]

日銀はだれのものか

財団法人アメリカ研究振興会理事長(本書発売当時)で、石油問題の権威として知られ、日銀審議委員も勤めた中原氏の日銀人選にかかわる自叙伝である。 第一章「金融政策に向き合う」 本書の話の始まりは「失われた10年」の真っ只中であった。山一證券が倒産し、北海道拓殖銀行が破たんした後から本書の話は始まる。 第二章「ゼロ金利への挑戦」 第三章「ゼロの攻防」 第四章「ゼロ金利解除」 ここのあたりで景気回復のため […]

子米朝

今年の10月に桂小米朝が五代目桂米團治を襲名した。五代目米團治の師匠はご存じ人間国宝であり、父である三代目桂米朝。米朝の師匠は四代目桂米團治、つまり米朝の師匠の名を自分が継ぐという形になったのである。当然戦後の上方落語の草分け的存在であったということから大名跡である。これから五代目米團治はそのプレッシャーと戦わなければいけなかったが、米團治が小米朝だった時代でも人間国宝を父に持つ噺家として、七光的 […]

闘え、日本人―外交とは「見えない戦争」である

「戦争の反対」はなにか? まず言えることは「戦争」の反対は「平和」ではない。もしも「戦争」の反対が「平和」であると信じ込んでいたらここで正してほしい。 「戦争」の反対とは一体何か?当然戦争を行わないことである。戦争を行わないということは当然戦争回避するために交渉を行う。その交渉を行うこととは……そう「外交」である。 つまり「戦争」の反対は「外交」である。 日本人の歴代の外務大臣や外務官僚はそのよう […]