新聞がなくなる日

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新聞がなくなる日 新聞がなくなる日
歌川 令三

草思社  2005-09-06
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新聞というのはいいものだ。毎日のニュースを事細かにとらえられているばかりではなく安価で多くの活字があるので「読む」という訓練にもなる画期的なものである。
しかし最近新聞に載っているニュースというのは信頼できない。あまつさえTVニュースでもバラエティ化により事件の深みにはまっていくことがなくなってきている、新聞は新聞で全体的に同じ記事にしかなっていなかったり内容も長く書かれているわりにはチープ感がある。
本書はそういった新聞に関する危機と、コンテンツの進化による新聞崩壊の予感に関して論じている。新聞のビジネスモデルというのは非常に古い時からずっと続いており、長らく安定的に成長し続けてきた。しかしインターネットの急速な普及により新聞の売り上げ部数も右肩下がりとなってきている。このままでは新聞が滅びてしまうというのも考えられる。
しかし著者も私も新聞はなくならないと主張している。ただしビジネスモデルと報道の在り方の変革が前提条件となる。ビジネスモデルであるが、新聞は非常に安価で広告収入も多く非常に儲かっていることも事実である。しかし、最近ではGoogleによる広告の在り方の変革もあってか従来のTVCMや新聞広告がなかなか集まらないのもあり、さらに前述の通りに売り上げ部数の減少も相まって、経営が段々と逼迫しつつある。
その中で新聞はどうあるべきかというところでビジネスモデルは本書でも書いてあるが、収入を広告1本にしてフリーペーパー方式にするというのも1つである。広告1本にするのも最近では広告収入も減少していると書いてあるが、ここではGoogle方式とよく似ていて1本あたりの広告収入は安価ではあるものの多数の広告媒体を敷くという、つまり多くの会社の広告で新聞の半数を埋め尽くすという方式である。これには多くの弊害はあるが実現はできるはずである。もう一つは報道の在り方である。これについても本書では韓国のオーマイニュースを例に取り上げられている。日本で言ったらPJニュースが例にあげられるだろう。オーマイニュースもPJニュースも特徴なのは一般市民がジャーナリストとなり(パブリック・ジャーナリズム)、その中で独自のニュースを供給しているというスタイルである。こういったものが報道の独自性を如実に見出している。最近では記者クラブという名の報道談合も話題となっている。情報の独自性や報道の自由が叫ばれているのにもかかわらず、新聞社は記者クラブにて情報を画一化しているのである。それで報道の独自性が見いだせるというのかというのも疑わしいことである。
繰り返すが私は新聞はなくならないと思っている。しかし今のままの状態がもっと続いたらそういった新聞はいらないと主張する。

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