「インド式」インテリジェンス-教育・ビジネス・政治を輝かせる多彩性の力

昨今では「BRICs」が世界経済を席巻している。とりわけ有名なのが、先頃GDPで世界第2位となった中国があげられる。人口も世界第一位であり、いよいよ「眠れる獅子」が目醒めたと言える。しかしその中国も高齢化がすすみ「老大国」と言われて久しい。

そして中国と並ぶ大国がもう一つ、それがインドである。約11億人もの人口を抱えているだけではなく、人口増加率も中国を遙かにしのいでいる。インドが世界第一位になるのも時間の問題である。

人口論はここまでにしておいて、本書は知られざるインドの教育と国民性をインド、及び日本での労働経験を持つ人が、それぞれの違いと体験談を交えながら記している。

第1章「「インド式」インテリジェンスの原点」
本書の前書きにはインド人には「多彩性」があると書かれている。インドの公用語はヒンディー語や英語をはじめ22もある。ほかにも東西南北の地域によって文化が異なるとあるが、おそらく発祥から異なっているという考えもできる。
しかし少し考えてみると日本の公用語は一つしかないものの、宗教的には「八百万の神」がいると信じられており、そのことからか宗教的にはかなりおおらかである。そのことを考えるとインドもそうだが、日本にも「多彩性」があるのではないかとも考えられる。

第2章「多彩性を支える「インド式教育」」
「インド式教育」の特長として「かけ算の暗記」がある。これは日本でも「九九」として行われているが、インドでは1×1から19×19まで暗記しなければならない。それが要因となったのかわからないが、バンガロールを中心にコンピュータの世界ではイニシアチブを取っている。コンピュータに関しては第3章にて詳しく述べることとする。
本章を読んでいくうちに「暗記」といった「詰め込み式」の教育から、先生を尊敬するといったことまであるが、日本でも通じている所もあるのではないかと考えてしまう。

第3章「多彩性を知ればわかる「現代インドの謎」」
少し本職の話をしてみる。
日本のソフトウェア界、というよりシステム業では企業などからシステムを受注して、設計・製造するのだが、その中でもっともこだわっているのが「品質」である。設計や製造、テストに至るまでそれぞれの「基準」があり、それをクリアすることが条件として課せられている。それが「ガラパゴス化」と言われている要因とも言える。
一方のインドではどうなのかというと「品質」の意識はそれほど高くない。むしろ「同じものをつくる」のではなく「新しいものをつくる」「最新鋭のものをつくる」といった意識が高いという。
本章ではほかにも「目標意識」や「俯瞰」といったところがキーワードとして取り上げられている。

第4章「コスト・オブ・パーフェクション(美しさの対価)」
第3章の続きとなってしまうが、日本では品質に関してこだわっているのにも関わらず、先のみずほ銀行のように連日システムトラブルが起こるといったことがある。これはなぜか、一つは些細なミスも許さないというところ、もう一つは想定内の需要でしか受け入れてくれないことにある。おそらくみずほのシステムトラブルの原因は不明だがどちらかというと振り込み集中が原因と考える。もしそれが真因と考えると、あくまで私の推測であるが後者がその要因なのかもしれない。
それはさておき、本章では著者が来日する前の日本人像と、現実の日本人像のギャップについて綴る、いわば「体験記」といったところといえる。日本人の持つ美徳、そしてその反面にある「閉鎖性」が著者には見えていた。

第5章「「インド式」インテリジェンスが世界を救う」
インド人は「多彩性」があると言われているが、ほかにも全体の中から同じものを見つける鳥のような目を持っている。全体の中から真実を見るいわば「俯瞰性」があるといえる人たち、それがインド人と著者は表している。

インドという国は知っているが、国民性は、私自身あまりよくわからない。本書は日本とインドの違いを国民レベルにて教えてくれるため、どのような国民か、というのがよくわかる。同時に国民性がどのような歴史を辿って作られていったのかもよくわかる一冊である。