弄ばれるナショナリズム

本書は日本や中国では「ナショナリズム」というものが蔓延っている。それを排除し真の日中関係を気付こうというのが著者の狙いかもしれない。

しかし隣国というのは永遠に仲良くなれない。中国に関する執拗な日本批判、とりわけ戦争責任論については強く謝罪を要求している、現に日中友好条約にて謝罪しているし90年代には何度も謝罪を行っているのにもかかわらずいまだに謝罪要求を行っている。これでは日中の友好関係は築けない。築くはずがないと私は思う。それの何よりの証拠としてはイギリス・フランスの関係がある。事あるごとに政府間、隣国民間で罵り合いが続いているという。

さてナショナリズムということではあるが、本来であれば国家主義・全体主義のことを表しているのだが、ここではおそらく国家間で仕組まれた愛国心ということであるかも知れない。これについては当ブログの「日本の愛国心」にて詳しく書かれているのでここでは割愛させていただく。しかしナショナリズムには本書に宗教性という考察がなされているが、ナショナリズムと考えると切っても切れないように思える。

日本では靖国問題が話題になっており、それが日本のナショナリズムであるという考えの人もいる、それを連結すると中国では無宗教主義である、もとより共産党自体が宗教性があるのではないだろうか。だからウイグル自治区やチベットでの迫害も起っている、宗教の排除を考えると確かにナショナリズムということもうかがえる。

さらに中国では若年層を中心にインターネットが盛んに使われている。その中では愛国主義を強調しているサイトをよく見るという。それによる反日主義は年上の世代よりもずっと強い。それと同時に中国では日本アニメ(日本動漫)がブームとなっている。これによる知日主義も同時に芽生えている。これも一種のナショナリズムではなかろうか。

最後について(東京裁判等)は論外である。天皇は時代の潮流にもまれてしまったのにもかかわらずそれをも知らずに天皇訴追しているので。