インドの科学者 頭脳大国への道

インドは90年代から2000年代にかけて「TI事業」を急成長させ、「IT大国」となった。人口も約12億人で中国に次いで世界第2位であり、世界最大の民主主義国家である。
そんなインドは多くの科学者たちを輩出した「頭脳大国」であるという一面を持っている。もちろんインドを「IT大国」にのし上げたのもまた「頭脳」である。インドにおける「頭脳大国」はいかにしてできあがったのか、本書は歴史とともにひもといている。

第1章「植民地時代のパイオニアたち」
本書における歴史はイギリス統治下にあった時代から始まる。インドがイギリス統治下になったのは19世紀の半ばであるが、ロンドンからの技術や文化などが流入していった。科学技術もまた19世紀末に生まれた。そのインドにおける近代科学の父としてジャガディッシュ・チャンドラ・ボース(J・C・ボース)、そして化学工業の父であるプラプッラ・チャンドラ・ラーイを取り上げている。

第2章「アジア初のノーベル賞受賞者 ラマン」
日本人で初めてノーベル賞を受賞したのは1949年に湯川秀樹が物理学賞を受賞した。しかしアジア人としては湯川氏以前に受賞した人がいる、その一人として本章にて紹介するチャンドラセカール・ラマンである。ラマンは湯川が受賞する19年前の1930年に「ラマン効果」と呼ばれるものを発見して、ノーベル物理学賞を受賞した。ちなみに本章では「アジア初」と記載されているが、実際はラマンが受賞した17年前にラビンドラナート・タゴールがノーベル文学賞を受賞している。そのため「アジア人初のノーベル物理学賞受賞者」であれば筋が通る。
指摘はそこまでにしておいて、インドにおいてノーベル物理学賞をもたらしたラマンは、インドにおいても影響力が大きく、ノーベル物理学賞を受賞した2月28日が「化学の日」と制定されるほどだったという。

第3章「独立インドの主役たち」
「独立インドの主役」と聞くとスバス・チャンドラ・ボースマハトマ・ガンジージャワハルラール・ネルーが挙げられ、インドの国会議事堂の中央ホールには3人の肖像画が飾られている。
しかし本章はそういった独立ではなく、独立した後におけるインドの科学者たちの「主役」を取り上げている。

第4章「グローバルに活躍するインドの頭脳」
インドの頭脳はインド国内のみならず世界的に活躍しているという。海外に居住するインド人は2000万人にも及んでおり、活躍している人も少なくない。そのきっかけとなったのは、NASAへと渡った宇宙物理学者のスブラマニアン・チャンドラセカールである。本書はチャンドラセカールの生涯とともに海外に渡ったインド人について取り上げている。

第5章「インドの教育について考えること」
「頭脳大国」と呼ばれているインドにてどのような教育を行っているのか、有名なものとして数学的な基礎訓練が上げられるのだが、他にも論理的な表現力を鍛える方法なども上げられている。

インドは日本や中国、アメリカなどにも比肩するほどの頭脳大国であるという。それはITはもちろんのこと、科学の分野でも世界的に活躍しているのだという。その歴史と理由について良く分かる一冊である。

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