AIは技術革新と共に、私たちの生活に深く関わっていくようになった。もちろん最新の技術が生まれることにより、それを悪用する輩も出てきており、それを規制するための「法律」の整備も急務になってきている。AIが台頭しつつある時代の中で法律整備はどのように行ったらよいか、そしてその時代の中で法律の考え方はどうしたらよいか、そのことについて論じているのが本書である。
第1章「デジタル技術に揺らぐ法」
技術はまさにドッグイヤーの如く、新しいものが次々と入ってくる。その様な時代の中で法律整備はと言うと、なかなか進んでいないのが現状である。もちろん新しい法律ができつつある中でも世間の賛否両論が渦巻くことも一つの要因としてあるのだが、法律を作る方々も技術がどこまで抑えられているのかは分からないため、相互の知識や考え方を持つことが難しいことも挙げられるのかもしれない。
第2章「AIとシェアリング・エコノミー――利用者と消費者の間」
ここ最近「サブスクリプション」と呼ばれるビジネスが幅広い業界で展開されている。何なのかと言うと、「定額料金」でサービスを受けることができるというものである。飲食店など元々サブスクリプションに縁のない業界にまで波及しておりニュースにまでなったほどである。
本章ではこのサブスクリプションの取引の他に、経済活動とAIの関連性について述べている。もっともAIと経済については「AIが変えるお金の未来」に関連している部分がある。もっとも先述の本はあくまで金融関係ではあるが。
第3章「情報法の時代――「新時代の石油」をめぐって」
「ビッグデータ」と言う言葉がある。これは行動や購入などの履歴をもとにして、マーケティング分析を行うための資料として扱われる。本章でも言及していたが、2013年に乗車履歴をビッグデータとして他の会社に提供するという騒ぎがニュースとして取り上げられた。論説の中では個人情報にあたることやプライバシー保護に抵触するといった論調があったのだが、あくまで個人的な情報は分からないように加工された上で、行動のみしか分からないようにしている。
このことがきっかけになったかは不明であるのだが、利用履歴からデータを用いてマーケティング分析に役立てるために個人情報保護法を2015年にビッグデータとして利用できるような改正を行ったことは有名である。
第4章「法と契約と技術――何が個人を守るのか」
ここで間違ってはいけないのはビッグデータで使われるのは個人の情報ではなく、行動や購入などの「履歴」である。その中に個人を特定する情報はわからないように「加工」していることがキーポイントである。
話は変わるがAI技術を発展することを正しく行うためには法整備が必要であることは冒頭でも書いたのだが、もっとも法整備を行うのはあくまで「人」であることが前提であり、AI技術もまた人中心である必要がある。それを法的な観点でいかにして行うのかそのことについて取り上げている。
第5章「国家権力対プラットフォーム」
第2章にて取り上げられた本に近しい部分である。仮想通貨は日本に限らず、先進国を中心として世界的に認知され、利用されている。もっとも仮想通貨にしても、Facebookにしても、利用者が1つの国以上の人口となっており、ある種本章のタイトルのような駆け引きが行われているのも事実としてある。
第6章「法の前提と限界」
法律を作るにしても「前提」があるのだが、昨今の状況によってその「前提」に限界が出てきていると著者は指摘している。そもそも前提とはどのようなものなのかを解説するのと同時に、どこに限界があるのかも指摘している。
本書のことはAIに限らず、昨今の技術革新によってもたらされている産物とも言える。とはいえど、冒頭でも話したようにそのスピードは昔の革新以上に速くなってきているのが事実としてあり、法整備がそれについて行けていないのが現状である。
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