非常識力

題名からして惹かれた。

本書はビジネス書というより、啓蒙書というよりも、まず読んでみたほうがいいかもしれない。まず少し開いたところで著者のパワーを感じた。

「アホになってみよう」

これが本書のもっとも言いたい所であると私は思う。アホだからでこそ非常識になれるという。これは見事といってもいい。

ちょっとここで弊害が無いように言いたいのだが「アホ」のとらえ方は東京の人と大阪の人とで違う。東京の人ではアホというのはマイナスとして捉えがちだが、大阪の人は逆にプラスにとらえる。それはさておき本書では農業のビジネスを立ち上げた者たちの物語であり、これから社会で生きていく人たちへの激励書といったところだろうか。

まず第1章は日本の若者たちへの檄である。自分を肯定し、評価や点数にとらわれることなく、何事も「ネタ」として楽観的にとらえる。確かに我々若者はそういった人はそうそう見かけない。日本の政治や経済に関するニュースを見るそのことで日本を憂い、自分の評価が気にすることから自分への自己嫌悪がある。しかしそれを払拭しなければ前に進むことができない。技術的なことは様々な本から吸収し血肉となっていけばいいが、それ以前に「自分何でもできる」といったいかにもバカなような心構えが非常に大事である。そういった自己暗示こそがこれから自分を成長するための糧となる。

第2章は心の豊かさと笑顔についてである。日本は高度経済成長によりものは非常に豊かになった。しかし心の豊かさは置き去りにされたままであった。その高度経済成長に残った影がいま日本中にはびこっている。心の貧しさである。実際自然に笑顔が出るところというのはそうそうないようにも思える。それに引き換え本書にも書かれているがカンボジアではものはそれほど豊かではない。むしろ心が非常に豊かであり、どんなことでも自然の笑いが出ている。さらにダイエットブームにも世界中から見たら懐疑的であるという。それもそのはずである。満足いくまで食べられない国もたくさんある。そう考えると飽食化している日本はどうなのかとも言いたくなる。そしてこれが書かれていた。

「人は、少しの幸せだけでいい」(p.66)

その通りである。しかし幸せを大きく求めるあまりに権力などによる柵が生れ、自分を見失ってしまう。当然それ以前にもっと大切なことがあるのにもかかわらずそれに気づかず、結局自分は不幸な人間と思いこみ自己嫌悪に陥る。たった一つだけでもいい。自分の中にあるかすかな幸せを理解してそれを宝にしてほしい。私自身もそうしたい。

第3章は「ニートや引きこもりが地球を救う」という題名。麻生首相が本の中で「ニートは捨てたもんじゃない」とも言っていたが、もしかしたらこれが起因しているのではないのかとも考えられる。彼らを農業をさせればもっと日本は良くなるのではないかという発想である。実際北海道には休耕地が非常に多い。

その中で農業などができれば自分自身が見えてくる。哲学的に難しく言うと植物の「生」と「死」を見出すことにより自分が生きている、ここにいる歓びを知ることができるいい機会ではないかと私は思う。北海道は農業大国ではあるがまだまだ成長するきっかけがほしいところ。その中で著者が提唱する「耕せ!にっぽん!」はこれから起こるであろう食糧危機や農業問題を一手に解決できるカンフル剤にもなる。さらに忘れ去られた「瑞穂の国、日本」を復活させるきっかけも作れる

第4章は「実行力について」、第5章は「若者へのメッセージ」である。
第5章では著者自身、「お節介な大人」として見回りしてはたむろしたりたばこを吸っている高校生らに注意しているという。近年そういったお節介な大人というのが減っているように思えてならない。最近では、注意することに逆ギレして殺人事件にまで発展したということが起こっていることで大人たちは若者を恐れてしまっているのだろうか。

そしてこのような若者を育てた大人はどんな態度でものを見ているのだろうか。そしてそのような社会になった責任はどこにあるのだろうかと突き詰めていってしまう。しかし過ぎてしまったことは仕様がない。これからを見出さないといけない。そのためには若者の世代から変えていこうと言わなければならない。若者には未来がある。その未来を切り開こうではないか。