翻訳者はウソをつく!

株式会社イー・プランニング 須賀様より献本御礼。
世の中には様々な本が存在するが、日本語のみならず、外国語からの翻訳版も読む機会が多い。外国語が苦手な人が読む印象もあれば、原文がどのように翻訳されるのかをみたいと言う人もいる。

書籍に限らず様々なところで「翻訳」はされるのだが、だからといって外国語をそのまま「直訳」するわけではない。話し手、書き手の意図をくみ取り行間でもって意訳をすることも「翻訳」における役割の一つである。

Chapter.1「日本語はなんとなくウソをつく」
エジソンの言葉に「天才は99%の努力と1%の閃きである」という名言があるが、これは誤訳であるという。本当は「天才には閃きが必要条件、1%の閃きが無ければ、99%の努力は無駄である」という。
ではなぜこのような誤訳が罷り通っているのだろうか。元々当時エジソンをインタビューした時にこのような翻訳となったが、これは当時でも一般ウケが良いからということを後日語ったためである。しかしその記者はここまで浸透したとは予想したのだろうか、本人でないと分からない。
他にも「I love you」やハムレットの名台詞のことについても書かれている。

Chapter.2「英語は都合よくウソをつく」
「英語」と一括りで言ってもアメリカやイギリスで単語の意味が違う。例えばメジャーなものではイギリスではサッカーのことを「football」と言う。しかしこの単語をアメリカでは「アメリカン・フットボール」という。どちらにしても国民的なスポーツであることに変わりはない。
他にも外交の場においての英単語一つの行間によって正解が大きく左右されることもある。最も有名なもので言えば大東亜戦争、原爆投下や敗戦後のGHQによる検閲などは英語の「レトリック」を巧みに用いていたという話を聞いたことがある。

Chapter.3「翻訳タイトルはムチャクチャなウソをつく」
本章では冒頭で「風と共に去りぬ」について取り上げられていたが、もう少し遡って「駅馬車」についても本章と合致しているのでここで取り上げる。
「駅馬車」は1939年にアメリカで公開された西部劇映画であるが、元々翻訳では「地獄馬車」というタイトルにするはずだったのだが、当時東宝の宣伝部に勤務していた淀川長治が「駅馬車」で通したというのは有名な話である(ちなみに、宣伝部になって最初に担当した作品でもあった)。
映画のタイトルもさることながら、書籍のタイトルにも直訳ばかりではなく、意訳や誤訳によって親しまれているものも少なくない。英語のイロハが分からないとなかなか気付かないが、本章を見てみるとどのように意訳されていたりするのがわかるので面白い。

Chapter.4「カタカナ語はしたり顔でウソをつく」
ビジネスや経営、情報に限らず様々な場で「カタカナ語」を見たり聞いたりする機会が多い。私も職業柄カタカナ語に出会う機会が非常に多いため、新人の頃はそれを覚えるだけでも一苦労であったことは今でもはっきりと覚えている。
しかしこのようにカタカナ語が氾濫したのはなぜか。理由の一つとして雰囲気づくりというものがある。カタカナ語を連発することによって頭の良い印象を与えたり、「あなたとは違うのです(某元首相のことではない)」ということを植え付けさせたりすることができる一方で、相手をうんざりさせたりと言うこともある。しかし英語をそのままカタカナにしたものから、英単語を並べてそのままカタカナ語となったもの、日本オリジナルのカタカナ語と様々である。

Chapter.5「機械翻訳は永遠にウソをつく」
GoogleやYahooなど、サーチエンジンでの翻訳、無料サイトやフリーソフト、有料のパッケージソフトなど、機械翻訳と言うだけでもピンからキリまで存在する。私も分からない英語やドイツ語などがあったら藁にもすがる思いで機械翻訳をかけ、日本語としておかしい所については修正をするというようなことをやったことがある。
機械翻訳は単語や文法の意味から翻訳をするため、意訳など人間を介した翻訳がしにくいというリスクがある。

翻訳はなくてはならない存在である。しかし翻訳者はどこまで相手の意図をくみ取りながら約すことができるか、あるいはどのようにしたら相手にとって分かりやすく異なる言語との架け橋を築いていくかというのがある。本書はその架け橋としてどうなのかと言う所を指摘している。

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コメント

  1. 齊藤正明 より:

    翻訳の世界での常識、おもしろいですね!

  2. 蔵前 より:

    >齊藤さん。
    翻訳家の世界は本当に面白いですよ。同時に翻訳の深さも垣間見ることができました。