ケータイ小説家―憧れの作家10人が初めて語る“自分”

ITジャーナリストとして有名であり、最近では「電子書籍の衝撃」という本を上梓した佐々木俊尚氏であるがケータイ小説家に関しての本を出されたとは知らなかった。それ以上に本書の画像を見たらわかるが、佐々木氏の作品の中ではある種「異端」の様にも見える(あくまで本書のデザインの「見た目」であるが)。

今から約7〜8年前にYoshiの「Deep Love」を皮切りに数多くの「ケータイ小説」が誕生した。本書は代表される「ケータイ小説家」たちの文章を著者自身がどのように感じたのかについて小説のあらすじとともに記している。

・美嘉「恋空」
おそらく本書で紹介されている「ケータイ小説」の中で、もっとも知られているのが本作であろう。
本作は自らの実体験をもとにしたフィクションであるが、著者の佐々木氏は衝撃を覚えたような感覚であったように思える。

・水嶋利子「理由。」
水嶋氏は元々童話作家を目指したそうで、高校生の時に本作のベースとなった小説を国語の先生に見せ、酷評された。またその国語の先生が「ケータイ小説」に関して酷評したため、それも相まって本作を書いたのだという。

・飛鳥「Re:涙雨、」
「涙雨」は飛鳥氏の根幹ともいえる。本作の他に「Dear:涙雨。」があり、さらに作者自身のHPも「Tears Rain」である。「飛鳥=涙雨」の構図がここにある。

・ナナセ「片翼の瞳」
私は本書で初めて知ったのだが「日本ケータイ小説大賞」というのがあるという。本作は第1回大賞作品であり、そのときの読者人気投票でも1位を獲得した作品である。本書がでたとき、作者はアルバイトの傍らケータイ小説を書いており、自信のHPで紹介されている。本作は大学生の兄が高校生の妹を恋するという作品である。

・蓮居くうな「戦場のサレ妻」
「戦場」というと大東亜戦争などの戦争を連想してしまう。そういったものを読みすぎたせいか。
本作のいう戦場は「主婦」における戦場。つまり「家庭」である。本作の主人公は作者と同じ三児の母であり、洗濯・掃除・料理・買い物・子育てと行き着く暇が全くといっても良いほど無い。
そういった状況の中で夫の浮気を見つけ、そこから彼女の苦悩が始まるというものである。いかにも「ドロドロ」としたものがあり、私も是非読みたいと思うのだが、実はこの作品は書籍化されたあと、続編もあるのだという。

・SINKA「また会いたくて」
本作はまさに作者の人生そのものを映し出している。本書にはその作品の一部がつづられているだけであるが、その文章をみただけで、作者の波乱の人生を垣間見たのと同時に、自分の人生はどうだったのかと考えさせられてしまう。おそらく本書で紹介されているケータイ小説の中で一番読んでみたいものはと質問されると、間髪入れず本作を答えると思う。それだけ衝撃的だった。

・美由「最後の約束」
これも自らの体験であるが、「禁断の愛」と「悲劇の別れ」がドッキングしたように思えた。実話であるため、本作が書籍化される前に相手の両親に許可を取りに手紙を送ったエピソードも綴られているところをみると、私では想像しがたいほどの「暗い影」を落とした過去があったのだろう。

・Saori「腐指」
これまでは実体験や恋愛についての作品がほとんどだったのだが、本作は「ケータイ小説」の中でも「ホラー小説」に属している。私も小説を読むのだが、ホラー小説は読んだことがない、様々なジャンルを読んでいくうちに「ホラー小説」について読む興味を示さなくなったからである。
本作は父の非業の死をきっかけに相手を呪い殺す儀式にはまるというホラーの部分と、復讐相手の孫娘との愛とのジレンマを描いている。
生きること、人間関係について疑問を投げかけている。それは人間の恨みや愛という感情を超越した、人間本来の生き方を問いているのかもしれない。

・めぐみ「心の鍵」
こちらも自信の実体験をもとにした作品である。友人にも相談しても相手も対応できないほどの壮絶な体験であるが、あるケータイ小説を読んだことをきっかけにケータイ小説を書こうと志したという。ケータイ小説の読者がその作者となった瞬間である。気軽にかけるというよりも、壮絶な過去を赤裸々に語っている人たちの作品を目の当たりにして、自ら作者として体験と綴る。ケータイ小説にはそういった輪があるのかもしれない。

・Chaco「空」
Chacoと言えば「天使がくれたもの」が代表作として挙げられる。しかし本書ではそれではなく「空」が取り上げられている。それは「天使がくれたもの」の読者が自身も作者と同じ体験をしたというメールからだという。
「ケータイ小説は読者によって成り立っている」
その言葉が新たな「ケータイ小説」となって具現化したと言える。

私が書評を書き初めて1年ちょっとしたとき、書評を介して私が「ケータイ小説」について書いたものがあった。そのときは私は「読んだことないし、読みたくもない」「語彙離れの象徴」とさんざん扱き下ろしたことを思い出した。しかしそれは単に「食わず嫌い」になっていただけであったと今、振り返る。本書を手に取ったのも著者の佐々木氏だから、という不純な理由だったのだが、著者自身もケータイ小説に関してネガティブな思いでしかなかったのだという。しかしケータイ小説家の取材を始めてから「ケータイ小説」の考えががらりと変わった。私も本書を読んで佐々木氏の様な変わり方ではないのだが、「ケータイ小説」を読んでみようと思っている。ケータイ小説に偏見を持っている人がいたら、是非読んでほしい一冊である。