今となって、LEDは一般的なものとなったのだが、かつてはかなり珍しいものといわれており、とりわけ本書で紹介する「青色発光ダイオード」はなおさらである。「青色発光ダイオード」と言えば2001年に特許をめぐって民事訴訟をかけられ、2004年の判決の判決審では被告が原告に対し、200億円の賠償金を支払う判決がくだったことが挙げられる。それほど価値の高い発明だったことが窺える。
本書はその青色発光ダイオード(本書では「青色LED」)発明までの著者の人生を綴っている。
第1章「好きのことをやればよい」
著者は1929年、鹿児島県で生まれた。学生生活の中で大東亜戦争が起こり、学業を抜け、軍需工場で働き、終戦を迎えた。その後は学業を行う一方で登山を趣味とした。その学生生活の中で「鉄」や「結晶」にまつわる研究を進めていった。
第2章「結晶・光・半導体―神戸工業、1回目の名古屋大学時代」
大学卒業後、工業会社で働くこととなり、そこで研究に没頭することとなった。同じ会社の先輩には後に京大教授になった人もいれば、富士通研究所長(三杉隆彦)になった人、さらにノーベル物理学賞を受賞した研究者(江崎玲於奈)もいた。
第3章「「我ひとり荒野を行く」―松下電器東京研究所時代」
工業会社を経て、松下電器(現:パナソニック)にスカウトされ、ゲルマニウムにまつわる研究を進めていった。そのスカウトの中でかけがえのない「恩師」と巡り会い、同時に「青色発光ダイオード」の基礎を作り上げた。
第4章「未到の頂へ―2回目の名古屋大学時代」
松下から名古屋大学に移り、更なる研究が始まった。いよいよ「青色発光ダイオード」の研究である。その青色発光ダイオードの研究をめぐって、MOYPE法(有機金属気相成長法)を採択しながらの研究だった。
第5章「フロンティア・エレクトロニクスへの挑戦―いま名城大学で」
誰もやったことのないこと、そして誰もやっていないことにチャレンジすること。そのことを思い続け、名古屋大学から、名城大学へ移り、更なる研究を進めていった。数十年にわたる研究を続け、ようやく青色発光ダイオードを作り上げた。
様々な紆余曲折を経て、青色発光ダイオードを見いだし、道なき道をひたむきに進みながら開発に成功することができた。研究は規模によって短期間に終わることもあれば、本書のように数十年の歳月を費やすことさえある。なかなかうまくいかないような状況でも諦めず、失敗を積み重ねながら、研鑽し続け最終的に成功をする。その姿勢はビジネスの舞台でも通ずるものがあるのかもしれない。
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