ろんだいえん―21世紀落語論

もはや落語界ではアンダーグラウンドの論争の様相を見せている「円生後継問題」。円生襲名に名乗りを挙げたのは三人。一人は円生の弟子の六代目三遊亭円窓、一人は五代目円楽の一番弟子の三遊亭鳳楽、そして円生最後の直弟子である三遊亭円丈である。

前の二人は本格的な古典派である一方(円窓は五百噺など創作落語にも力を入れていることも付け加えておく)、円丈は徹底した新作派として有名であり、現在売れている春風亭昇太や柳家喬太郎らの落語に多大な影響を与えた噺家である。最近では円生ゆずりの古典にも力を入れており、大ネタを披露する機会が多くなった。

前説が長くなってしまったが、本書は今話題の三遊亭円丈が築いた落語論を余すことなく紹介している一冊である。

第一章「落語を考える」
「古典も最初は「新作」です」
新作落語の「闘将」と呼ばれた五代目古今亭今輔の言葉である。その言葉を地で行った一人として著者がいる。
本章では著者の生い立ち、円生の弟子になり、新作落語に励む所まで綴っている。
新作派であるのに今輔ではなく円生に入門したのか、円丈の落語を聴きながらふと疑問に思ったのだが、「基礎から学べるから」だという。円生は面倒見がよく、直弟子はもちろんのこと、孫弟子の鳳楽、さらには柳家小三治らにも基礎を教えたとして知られている。

第二章「円丈のギャグ進化論」
私の趣味は落語鑑賞であるが、寄席で聴く機会は年に一・二度あるくらいである。それ以外はすべてCDで購入したものを聴いている。
著者の落語は聴いていくうちに不思議な感じがする。現代にタイムスリップしたのかと思いきや、それとは全く違うせかい、一言で言うと言葉では言い表せられない「円丈ワールド」に自ずと引っ張り込まれている感覚だった。
著者は常に新しいギャグを考え続けているのだと言う。お笑いもギャグと同様で進化を続けている。しかしギャグも魚と同じように「生物」なのですぐ腐っていく、廃れてしまうわけである。

第三章「落語はどうやって作るのか」
第二章と重複するものもあるが、基本的に落語はどのように演じられていくのかについて、過去に作り、演じた新作をもとに綴っている。

第四章「発想による落語のストーリー構築法」
ここでは今昔の新作落語を読み解きながら、自ら行っている「新作落語」のメカニズムについて分析を行っている。
著者に言わせれば新作落語は思いついたギャグやストーリーを記録し、そこからパズルの如くちりばめる。またストーリー構成も様々なものがあり、「誇張法」や「IF法」など様々である。落語のみならず、ビジネスの場でも使える要素がありそうで面白い所である。
後半には著者に教えを乞うた噺家の特徴から、昔の新作派と呼ばれた噺家たちのことについて取り上げられている。

第五章「円丈の落語演技論」
落語づくりが終わったら、今度はお客さまの前で演じるというところ、ここでは落語の「演技」、「仕草」と言った所について論じられている。
本章の冒頭には声質に関するこだわりがあったのだが、五代目古今亭志ん生が最初に稽古をつける時、終始「えー」という発声(?)の特訓で終わったという逸話があることを思い出した。落語は独りで何人もの役を演じる、そのため声質を使い分ける必要があるため、「声」が非常に大事な要素になる。
他にも仕草、間、まくら、稽古など演技にまつわる諸々について語っている。

昨年の春に「円生争奪杯」が開催され、円生ゆかりの噺を著者と三遊亭鳳楽がそれぞれ演じた。しかし円窓も襲名に名乗りを挙げたことから円生襲名問題は混沌と化している。遺族側は円窓を正式に襲名のため話し合いを行っているとしているが、現状の所進展は全くない。それどころか襲名話は明らかに頓挫している様にしかみえない。
本書の巻末に少し書いてあったのだが、大名跡と呼ばれる名前が30年以上襲名されていないケースは多く、中でも「春風亭柳枝」は50年以上襲名されていない。大名跡の重さ、偉大さというのはわかるが、名跡を受け継ぎ、代々大きくしていくことこそ「伝統」なのではないだろうか。著者は円生を襲名することによってそれを体現させようとしているのかもしれない。