フラクションの闇

本書は庁舎が労働組合を渡り歩きながらも、共産党員としても渡り歩いた記録である。しかしそれは20歳から43歳までの23年間で、最後は共産党から除名されたという呆気ないものだった。しかしその23年の中でなぜ除名されたのか、それを自らの労働組合員、そして共産党員としての歴史を振り返りながら総括を行っているのが本書である。

第一章「学生運動と入党」

著者が共産党に入党したのは1972年の時である。当時は学生運動もあったのだが、1968年ほど盛んに行われていなかった。その入党当時の著者は筑波大学の学生だったのだが、入党して程なくして「自治会」に所属するようになった。当時の筑波大学の自治会は学生運動の根城の部分もあった。

第二章「東京建設一般労働組合江戸川支部時代」

この自治会としてと、共産党員が後の就職活動にも影響を及ぼし、東京建設に入社することになったのだが、その中に「労働組合」があり、入社当初から労働組合員にもなった。しかも労働組合としての活動も組合の事務に限らず「選挙戦」や「大衆運動」にかり出されることもあった。

第三章「東京建設本部での三年間―フラクションとのたたかい」

やがて江戸川支部から東京建設本部への異動となり、底でも労働組合や共産党員としての「戦い」があった。しかしその戦いは本書のタイトルにある「フラクション」が絡む。「フラクション」とは、

1.政党などが大衆団体や他の組織の内部に設けるグループ組織。
2.政党内部の分派。「広辞苑 第七版」より

とある。特に本書の場合は2.の意味合いが強い。その「分派」と呼ばれる中で、共産党○○支部や△△部といったものがあり、本章では共産党における「フラクション」の戦いが中心である。

第四章「労働組合と政党との関係―いくつかの問題について」

そもそも労働組合となると、政治思想的には「革新」「リベラル」の要素が強くある。しかしながらその「リベラル」であっても、今で言う所の「立憲民主党」や「社会民主党」、そして「日本共産党」とでは毛並みが異なる。その「毛並み」の部分において、労働組合と政党の関係の「違い」があるという。

第五章「中間的な総括」

学生時代から共産党員として関わり、そして就職してからは労働組合に入り、活動するようになったのだが、当初は幸せだった。しかし労働組合や共産党の支部・グループと渡り歩くうちに「フラクション」の戦いが起こっていった。それが共産党員としても労働組合員として重要なファクターになろうとは著者自身思ってもみなかった。

第六章「私自身のこと」

この「フラクション」の戦いは想像以上に精神的な負担を受けてしまい、著者自身1984年にうつ病を発症した。このうつ病の要因はもちろんのこと、うつ病を発症してからの労働組合・共産党の関係性をさらに深掘りしている。

第七章「問題の核心」

このうつ病をがきっかけとなり会社を退職することになった。さらに、この退職を巡って新たな労働委員会などが設けられるのだが、その設ける中で、共産党員を除名される出来事が起こった。その出来事の理由として本章の他にこれまでの状況の変化がある。

ある種自分語りのような1冊であるが、そもそも「労働組合」と言うと、立憲民主党や社会民主党の部分が強いと思いきや共産党も労働組合によっては存在している。しかし労働組合自体組織される所もあれば、経営者と持ちつ持たれつと言った所も存在するため、政治思想も絡んだ労働組合はあるにはあるが、だんだんと少なくなっている現実もある。

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