歴史には光と闇がある。「光」というとまさに歴史の教科書や歴史書の主人公に描かれる人物のことを表す。反対に「闇」は史料といったものには載せられておらず、歴史とともに忘れ去られてしまった方々のことを指す。
本書で紹介される小栗上野介(小栗忠順)もまたかつてその一人であった。しかし彼にまつわる史料が見つかっただけではなく明治末期に日本海海戦の英雄として知られる東郷平八郎により名誉回復を機にその名は再認識され始めた。
とはいえ小栗上野介を知っている方はそれほど多くない。というのはそれにまつわる作品は世に出ているがまだ少数である。本書は近代化に向けた改革を進めながらも、刑死した悲劇の幕臣・小栗上野介の生涯の考察を行っている。
第一章「日本人初の世界一周」
今となっては「世界一周」をする事は珍しくもなくなった。インフラの面でも充実しているからである。しかしマラソンなど違った形で世界一周をしようとするならば話しは別である。
そんな世界一周の夢を世界で初めて実現をしたのはマゼランであるが、日本人では小栗上野介であるという。
本章ではその世界一周の旅について記されており、その中には、勝海舟やジョン万次郎(中浜万次郎)、福沢諭吉が搭乗した「感臨丸」についても述べられている。
第二章「幕末期の構造改革」
世界一周により世界のあらゆる見識を培ってきた小栗は衰えの色が見えてきた幕府の構造改革を手がけ始めた。
その中でも「勘定奉行」と「外国奉行」にまつわることが多いのだが、本章では「外国奉行」となった前後のことについて、を記している。
有名どころでは「ロシア軍艦対馬占領事件」の事件処理を挙げている。とはいえ、この事件は小栗では解決できず、「外国奉行」を辞任する引き金となった事件であった。
その後、横須賀に製鉄所や造船所を建設し、海軍・陸軍双方による軍力の増強を行ったとされている。明治時代における「富国強兵」の礎ともなったと言われている。後に1862年に「勘定奉行」となり、次章で挙げられる経済の立て直しに尽力した。
第三章「経済による立て直し」
「日本近代化の父」というと明治天皇をはじめ様々な人物が挙げられる。しかし「日本経済近代化の父」と言われると、余りにも少ない。「資本主義の父」と言われる渋沢栄一が挙げられる以外はなかなかいない。
しかし小栗もその「日本経済近代化の父」と呼べる。そのひとつとして日本人で初めて株式会社やホテルを設立したことにある。
第四章「上州に夢をはせて」
様々な近代化を図ってきたのだが、やがて時代は大政奉還を経て「鳥羽・伏見の戦い」が開戦された。後の「戊辰戦争」となった。やがて勘定奉行を罷免され上州(現在の群馬県)に移住した。それも束の間官軍により捕縛され、1868年閏四月に斬首された。戊辰戦争の中でも人と戦わずして斬首された幕府側の人物は小栗ただ一人であった。
小栗が亡くなってから時代は「明治」となり「文明開化」「富国強兵」の道を突き進んだ。あたかも小栗が行った道を誰かが行ったかのように。本書を読んでいくと小栗の行った功績はまさに明治時代に行われた近代化の礎、というよりもそのもののように思えてならなかった。ある人物が「明治政府の近代化政策は、小栗忠順の模倣にすぎない」と発言をしていたがまさにその通りと言う他ない。日本の近代化、それは明治時代ではなく、むしろ小栗上野介によるものが大きかった。そのことを知る格好の一冊である。
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