著作権という魔物

「著作権」は誰のためにあるのだろうか。
法律的な建前上では「著作者」のためにあるのだというが、果たして「著作者」とはいったい誰のことを指しているのだろうか。

それを聞く理由として「著作隣接権」など「著作権」から派生する歪なものまである。本書のタイトルにある「著作権」は止めようのない暴走した「魔物」と化しているようにしか思えなくなる。

本書は著作権の現状と、これからのメディアやコンテンツがどうあるべきなのかを、様々な機関をインタビューなど、を通して見ている。なお本書は全部で16章あるが、当ブログでは選りすぐりの7章を紹介する。

4・5.「コロロジストと著作権」
「コロロジスト」とはいったいどのようなものなのか。「コロロジー」は一言でいえば「地誌学」と言い、地域内の政治や経済、法制度などの事象を研究する学問のことをいう。その学者のことを「コロロジスト」と言うが、著作権と何の関係があるのか、と言うと「著作権」そのものが国によって異なるため、それぞれの国の「著作権」を見ることから「コロロジスト」という使われ方をしているのではないかと考えられる。

9.「権利者にとっての著作権」
著作権は「著作者」のものだろうか、と考えてしまうが、どうやら「著作者」だけが「権利者」ではない。最初にも言ったように「著作隣接権」などが挙げられるように、「著作者」ではなくても、著作者と隣接するような関係になれば「権利者」となることができるという。たとえばある映画を使いたく、映画製作者に著作権が許諾をしても、出資しているTV局などが「著作隣接権」を行使して「NO」と言えば、その映画は使うことができないというものである。
その「権利者」でさえも、現在ある「著作権」は複雑な構造を持っているため、変であるという。そもそも著作権は頻繁に法改正されているのだが、コンテンツなどの進化がそれに追いつけていない現状がある。

10.「著作嫌の番人「JASRAC」」
巷では「カスラック」など揶揄されている、著作権の機関である「JASRAC」についてである。その「JASRAC」も2008年に独占禁止法に抵触したことで訴えられた過去がある。ましてや著作権を管理する団体であるが、あくまで「社団法人」であり、営利は目的にすることができない。著作権料のおおよそはJASRACに流れているのだが、その詳しい用途については不透明である。ましてや著作者にわたっているところも不透明であるため、JASRACにしても権利者は使用料の用途を詳しく開示する必要があるのではないのだろうか。

11〜13.「テレビに未来はあるのだろうか」
私たちの世代では、TVを視聴する時間が10年に比べて3割短くなっているのだという。かく言う私もF1や好きな番組以外はいっさい見ない。1日に1時間にも満たないくらいである。
原因の一つとしてTV番組の質が落ちているという指摘もあるのだが、同じような番組が流れているということもある。
ちなみに「TV番組」と一括りではあるが、地上波のTV番組のことを言っている。私が見る「好きな番組」のほとんどはCSなどの衛星番組であり、専門性も高く、かつ毎月の使用料も徴収している自負からか、質も高い。NHKのように強制的に受信料を徴収されるところよりも、気持ちよく支払うことができるくらい面白い。
そう考えると、TV局はもっと専門的に変わる必要がある、どの局も一緒くたではなく、本当の意味で「個性」を見いだす必要がある。

著作権は誰のためにあるのだろうか、著作権とは何なのだろうか。インターネットなどのウェブの隆盛によって「著作権」、もしくはそれを取り巻く法律によって「規制」の網は広がりつつある。しかしそれによってコンテンツは進化するのか、というと疑わしい。有名な話であるがかつてビートルズはイギリスの別のグループの曲をコピーしたもので大ヒットを遂げた。さらに日本でも有名な「蒲田行進曲」もオペレッタ「放浪の王者」の中の「放浪者の歌」が元である。そういったことを考えた場合、著作権の正しい在り方はどうあるべきか、まだその道筋は見えない。

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