資産フライト 「増税日本」から脱出する方法

今は少しずつ景気が回復しつつあるものの、私たちの生活の実感はほとんど感じられない。ましてや為替相場では1ドル80円台の状態が今もなお続いている。

しかし私たちの生活で感じられない経済で、あることが起こっている。その一つに「キャピタル・フライト」があげられる。

「キャピタル・フライト」は簡単に言うと「資本逃避」の事を言い、自らの財産を国内から海外へ流出する事を指している。2002頃から懸念され始めたが、財政破綻や大震災もあり、その動きが急速に加速している。
本書はその「キャピタル・フライト」の現状とこれからの日本について警鐘を鳴らした一冊である。

第1章「成田発香港便」
ある中小企業のオーナーが香港へキャピタル・フライトをするところを同行している。本章ではそれについて綴っている。香港は外貨持ち込みの制限は無いが、日本では資産の持ち出しは「外為法(外国為替及び外国貿易法)」という法律によって制限されている。
しかし、本章を見ると果たしてその法律は機能しているのかどうか疑ってしまう。

第2章「震災大不況」
「リーマン・ショック」から日本の経済は急速に冷え込み、そこからようやく脱出しようとした矢先、「東日本大震災」が起こった。それによる原発事故や風評被害、あるいは総自粛などにより、消費は一気に冷え込み、経済も再び失速。「二番底」の様相さえ見せた。
それにより最初に言った「キャピタル・フライト」がさらに加速していった。「戦後復興以来の奇跡」と呼ばれたのだが、その裏では「リスボン大震災の再来」と呼ばれる最悪の構図も見え始めた。

第3章「海外投資セミナー」
私は色々なセミナーに参加するのだが、そのセミナー情報を調べるにあたり、「海外投資セミナー」という言葉をよく見る。本章にも書いてあるとおり、ほぼ毎日のように開催している様相である。
海外投資は国債などとは違い、利率も高い。また増税対策のために海外の銀行口座を開設して海外資産に回す人も出てきており、それによる申告漏れも多い。

第4章「さよならニッポン」
昨年、大前研一氏が共著で「この国を出よ」という本が出版され、話題となった。
その本のタイトルをそのまま引用する訳ではないが、日本の税制上、富裕層はその言葉をそのまま使い、行動をする現状も存在する。
「富裕層や大企業こそ税金を支払うべきだ」
その主張は間違いではないが、思わぬジレンマも存在する現状が本章にて述べられている。

第5章「富裕層の海外生活」
富裕層の海外生活は今に始まったことではないが、リーマン・ショック以降景気が減速したのと同時に香港やシンガポールなどに移住する人も増加している。主に税金から逃れるためであるが、それに水を差す事件が起こった。
いわゆる「武富士裁判」である。

第6章「税務当局との攻防」
「武富士裁判」について経緯を説明する。
武富士の元会長である故・武藤保夫の長男が追徴課税をされた事に対し、取り消しを求める裁判であり、この長男は香港に居住していた。その裁判の争点は「生活の本拠がどこにあるのか」というところであり、結審から言えば長男側の勝訴(課税の無効)が確定された。
この裁判について富裕層は国に対して批判、もしくは怒りの声を上げている。簡単に言えば海外に居住していたにも関わらず、日本の法律を守っていたにも関わらず、追徴課税の罰を受けるところにあるのだという。
しかしこの裁判への怒りは富裕層ばかりではない。結審の後、長男には追徴課税である約2000億円が還付された。メディアはその金額を大々的に取り上げ庶民感情を煽った。
庶民の側の感情が先か、それとも富裕層の感情が先か、あたかも「タマゴが先か、ニワトリが先か」にあるような不毛な議論になる。まして「平等」という言葉はある意味「幻想」に思えてならない。

第7章「金融ガラパゴス」
銀行や証券などの「金融機関」の現状について記している。もっとも「庶民と官僚」の隔たりよりも遙かに大きいものとして挙げられるのかもしれない。銀行のサービスや証券の手続きなど、合法であるにも関わらず口座開設や預金を下ろすことができないというジレンマも起こっているといいう。

第8章「愚民化教育」
日本の教育への批判であるが、もっとも「投資教育」や「お金の授業」は日本の教育機関ではあまりなされない。「教育指導要領にはない」や「お金を勉強することは日本人として間違っている」という主張が罷り通っているからである。

第9章「愛国心との狭間で」
「富裕層は悪」という思想はメディアや左派を中心に浸透している。では富裕層は自分さえよければ良いと思っているか、というと答えは「否」である。富裕層と言った方々は国に対して高い金額を納税しているだけではなく、「寄付」も行っている。「それは当たり前ではないか」という主張をしている人も多いようだが、ある程度の資金が無ければできないことであり、自らが裕福になれたことへの感謝も相俟っているからである。

もっとも国と国民は信頼関係によって成り立っているが、それが疑い深い関係になっていることから生きづらい国となっているのかもしれない。だから富裕層は国から出ていく、中間層や貧困層は国に対して怒りや罵声を浴びせている。国や官僚も国民を信頼せず、監視を強めていく。そのいがみ合いの産物が「規制」や「増税」といったものが生まれている。精神的、かつ抽象的な話になるかもしれないが、国民は国を信じ、官僚や政治家は国民を信じる。その絆こそが復活する大きな鍵となるのではないだろうか。