絶滅危惧職、講談師を生きる

本書のタイトルにあるように講談の世界は存続が危ぶまれる様な状況に陥っており、「絶滅危惧」と呼ばれているほどである。その世界に入り、今となっては著者が「講談」の世界から復興に気を吐いているような気がしてならない。今となってはテレビやラジオでは見聞きしない日はないほどの人物であるのだが、知っての通り著者は現在二ツ目である。

二ツ目で人気を博し、なおかつメディアでも引っ張りだことなる人物は落語の世界でも数人しかいない(三代目古今亭志ん朝や十代目柳家小三治、初代林家三平や三代目三遊亭圓歌も二ツ目がその例である)。著者はなぜ講談の道を進んだのか、そして講談師としての未来はどう描いているのか、聞き書きにて語っている。

第一章「靄(もや)に包まれた少年期」
少年時代は「靄」と読んでいた理由としては小学3年生の時にあった「父の死」であった。それまではよくいる子どもだったというのだが、父の死を境に常に引っかかる感覚に陥り、他の人たちとの「乖離」を感じることができてしまった。また記憶もその時を境に途切れたという。

第二章「受験よりも落語を優先した十八歳」
屈折した少年時代から中学を卒業し、高校へと進学した時に出会ったのが「落語」だった。ラジオで六代目三遊亭圓生の「御神酒徳利(おみきどっくり)」を聴いたのがきっかけである。そこから多くの落語を聴くようになった。また七代目立川談志の高座を生で聴くことがきっかけとなり芸人として生きることを志した。その落語に派生して、講談なども聴くようにもなったという。

第三章「“絶滅危惧職”への入門」
芸人として選んだのは講談師だった。とはいえど落語家・浪曲師・講談師の中から選び、迷った末に出したという。その松之丞の師匠は神田松鯉であり、講談協会の重鎮である(今年8月に人間国宝認定が決まった。講談界としては六代目一龍斎貞水に次いで史上2人目)。入門までのエピソードから前座になるまでの話などを取り上げている。

第四章「Fランク前座」
神田松鯉に弟子入りしたのが2007年、そして翌年には落語芸術協会に加入することとなった。前座の時代は印象が「最悪」であり、陰気なイメージがつきまとっていたという。空気の緊張をほぐすための「開口一番」も重くなるといったことから周囲から本章のタイトルにある「Fランク前座」と呼ばれるようになった。

第五章「二つの協会で二ツ目に昇進」
前座時代を4年7ヶ月続いたが、講談協会・芸術協会双方で二ツ目に昇進することと鳴、講談の魅力を確認し、打ち込むようになった。二ツ目の時代が経つにつれ活躍の場も一気に広がるどころか、講談以外の仕事も舞い込むようになり現在に至る。

第六章「真打という近い将来」
神田松之丞は2020年2月に真打昇進を果たす。と同時に神田伯山を43年ぶりに六代目として襲名することとなった。その真打に向けて芸事を磨く日々であるのだが、真打昇進した後、どのような講談師になるか、その青地図を描いている。

ここまでメディアに引っ張りだこになった講談師は私の記憶でもなかった。それだけ講談界としても復興の大きなきっかけとして期待を寄せられていると言える。六代目神田伯山となった後に、講談の世界はどのように変わっていくのか、そして神田松之丞から神田伯山になった後の芸はどのように変わってくるのか見てみたい。