JR山手線で新宿駅から外回り電車に乗ると次の駅は「新大久保」という駅に停車する。私自身、新大久保には一度だけ行ったことがある。4年前の話になるが、会社のプロジェクトの仕事場がちょうどそこに近いところにあったため、忘年会を新大久保から5分ほど歩いたところにある韓国料理店で行った。それ以来一度も行っていないため、現在はどのような形に変貌を遂げているのかはわからない。
当時から新大久保を含めた「大久保」というところは「韓国」の色が濃いというイメージが強く、夜は車が多く通る道から一人ではずれてはいけないと言われたほどである。
そういったイメージしかない私であったが、本書は「韓国」だけではない、いろいろな国の文化が集まっている多国籍・多文化の場所である「大久保」の空間と魅力について紹介している。
第1章「誘惑される「オオクボ」案内」
新大久保駅の南口から竹下通り、あるいは職安通りと呼ばれるところに様々な言語の看板が目立つ。もっとも私自身もハングル文字の看板をよく見るイメージが強い。それだけではなく、いろいろな文化や料理も数多く存在する。
本書では「エスニック」という言葉が数多く出てくるが、そもそも「エスニック」とはいったい何なのか。
直接的に言うと「民族特有」の習慣や風俗などを表しているが、本書の内容で捉えてみると「エスニックグループ(多民族国家における少数民族集団)」という意味合いにも見て取れる。
第2章「なぜ外国人は大久保に集まってきたのか」
大久保に外国人が集まり、かつ現在のようになったのは90年代に入ってからだという。なぜなのだろうか。本章ではそれについてもふれられているが80年代前半に日本語専門学校がこの大久保で乱立し、外国人が集まりだしたことがきっかけにあるのだという。当初は「外国人」でさえ珍しいだけあったが、だんだん増えていくにつれ様々な文化が入ってくるようになった。それらが「外国人居住問題」の引き金になり、様々なトラブルが起こった。理由は文化や価値観の衝突によるものであり、とりわけ前者は考え方が根強いのかもしれない。
第3章「どのようにしてエスニックタウンは発展したのか」
大久保が「エスニックタウン」になった経緯について記しているが、「エスニック」と呼ばれるような独特なサービスに発展したものとして「飲食」もさることながら「美容院」や「薬局」「宗教施設」なども「エスニック」にちなんだ独特なサービスを行う施設として発展しているのだという。特に「宗教施設」はどのように発展したのか興味深い。
第4章「なぜダイナミックな都市変容が起きたのか」
第2章では外国人が入ってきた理由を述べてきたが、ここでは「エスニックタウン」と呼ばれるようになった経緯について綴っている。古くは7・80年代に細街路の雑居空間から挑戦や台湾・老華僑の店舗が立地してきたことが始まりとされてきた。
第5章「大久保から「オオクボ」への軌跡」
ここでは江戸時代からの「大久保」の土地性から論じている。元々江戸城から少し離れたところにあるが、「郊外」という意識が強く、下級武士の屋敷地であったのだという。その歴史は明治・大正と進んでも変わることなく、同じ「新宿区」でありながら新宿とは違い、「郊外」と言える場所として扱われた。
第6章「都市の生命性と多様性」
大久保は多国籍化になるにつれ、「オオクボ」と呼ばれ各国の共通語にまでなった。本書でも「大久保」ではなく「オオクボ」と呼ぶようになる所以と言える。日本では様々な国、そしてその文化が混在するが、「大久保」はそれが顕著といえる。
「都市」の概念は様々な角度で進化を遂げている。かつて「秋葉原」についての進化について「アキバを創った12人の侍」と言う本にて取り上げたことはあるのだが、「大久保」は秋葉原とは違った「進化」を遂げている。本書は大久保の観点から「都市」の進化を見ることが出来る一冊といえる。
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