1968年は20世紀の中で「もっとも激動の一年」の一つであった。8月に小熊英二の「1968」を一週間にわたって取り上げたが、そこでは学生紛争や新左翼を中心とした日本における激動の時代を取り上げた。
さて、本書は日本から離れたアメリカの「1968」はどのような年であったのか、というとオリンピックイヤーであったのだが、その一方でアメリカに蔓延っていた「人種差別」が大きく取り上げられた時代であったことを取り上げてられている。
第一章「混乱の始まり 一月~三月」
この1968年は「国際人権年」と国連が定めていた。この「人権」が後に激動の年のトリガーとなったのは世界的にもまだ知る由もなかった。
その「1968」前夜では日本にて過激なデモが行われていたが、それはアメリカでも「ベトナム反戦」運動が学生を中心に活発なものになっていた。
1968年に入ったときは穏やかなものだったが、北ベトナムの休戦協定無視から「ベトナム戦争」を引き金とした激動に陥った。
第二章「リベラリズムの死 四月~六月」
この1968年に亡くなった人物としてもっとも注目すべきなのが、マーティン・ルーサー・キング・Jr牧師の暗殺であった。人種差別撤廃への演説として「I have a dream」は今日でも伝えられるほど伝説の演説として有名である。さらにもう一人JFKの実弟であるボビー・ケネディも同様に銃弾に倒れた。リベラリズムを提唱する人物が相次いで凶弾に倒れ、リベラリズムそのものも後退の一途を辿っていった。
さらに日本と同様に大学紛争が起こった年でもあった。
第三章「保守回帰の夏 七月~九月」
リベラリズムが後退し、共和党を中心とした「保守」が再び台頭としてきた。春まではリベラリズムを提唱することのデモが高まってきたが、今度はリベラリズムに反対、それに近しい民主党に反対するデモが多発した。
第四章「分裂への序章 一〇月~一二月」
人種差別、ベトナム戦争などがきっかけとなり大統領選などでも混迷を極めた。さらにいうとアメリカの隣国であるメキシコでもそれにまつわる「事件」が起こった。メキシコでは10月に「メキシコオリンピック」が開かれていたが、10月17日の男子200メートルの決勝でアメリカの黒人選手が金・銅メダルを獲得した。しかしその表彰式で「ブラックパワー・サルート」を主張し、後に表彰台に立った2選手のメダルが剥奪され、スポーツ界から永久追放処分となった。
それと同時期に大統領選がきまり、共和党のニクソンが勝利をおさめ、大統領に就任した。しかしその後、一大スキャンダルとなる「ニクソン・ショック」が起こるのだが、それは1968年より後の話である。
アメリカの「1968」は「ベトナム戦争」や「人種差別」「公民権運動」が中心であったが、その後ろにはいつも「大統領選」が存在しているように思えてならない。日本では様々な問題が「独り歩き」とまではいかないものの、直結している部分がなかった。そこが日本とアメリカの「1968」の違いではないかとも言える。
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