「缶」にしても、「インスタント」にしても、「ドリップ」にしても私たちの中で愛されているコーヒー。かく言う私もホットコーヒーを飲みながら書いている。毎日缶コーヒーやインスタントコーヒーを飲まないと気が済まないため、コーヒーを飲まない日はむしろ珍しいほどである。
そのコーヒーにまつわる貿易や経済については当ブログでも何度か紹介したことはあるのだが、本書はその中でも有名な「キリマンジャロ」の銘柄から経済の流れを表そうとした一冊である。
第1章「コーヒーのおいしさ」
コーヒーは香りや苦みなど銘柄によって異なっており、それが日本人に広く愛されている証の一つであるという。
その中でも魅力なのが、様々な「違い」をインスタントでも缶コーヒーでも愉しむことができる、さらには「カフェイン」で仕事や勉強に集中することができることも、もう一つの要因と言える。
第2章「「キリマンジャロ」の生産者たち」
アメリカ大陸最高峰であり、かつ世界一標高の高い火山である「キリマンジャロ」。そのキリマンジャロでコーヒーの生産を行っている家族を密着し、そのコーヒーの生産と販売のメカニズムについてを追っている。
第3章「コーヒーのグローバル・フードシステム」
生産から販売の中から、コーヒーの栽培から収穫、さらに外皮や果肉除去、水洗・発酵、乾燥に至るまでのコーヒー豆のつくられ方を紹介している。
第4章「コーヒーの価格形成の不公正さ」
コーヒーの価格形成は、俗に言う「先物取引」における「投資」の善し悪しで決まるのだという。それが生産の善し悪し以上の力を表しており、豊作・凶作の時における価格の振り幅の変動が大きくなり、それが「不公正」という言葉となって返ってくるのだという。
第5章「ポスト構造調整とフェア・トレード」
それを解消すべくつくられたのが「フェア・トレード」である。「フェア・トレード」については「コーヒーを通して見たフェア・トレード―スリランカ山岳地帯を行く」という一冊が詳しい。
第6章「キリマンジャロの農家経済経営」
フェア・トレードはコーヒー農家にとって、さらには販売者にとって利益になったかというと、そうなった側面もあれば、そうではなかった側面も存在した。
とりわけ後者は名ばかり、もしくは不十分なものとして取り上げられており、「フェア・トレード」そのものの課題として取り上げられている。
第7章「日本のコーヒー産業の特質とフェア・トレード」
日本における「コーヒー」にまつわる市場は「喫茶店」とともに語られる。従来あった「喫茶店」から「スターバックス」や「ドトール」「ベローチェ」といった「シアトル系」のカフェにシフトしていったメカニズム、さらにブランドとフェア・トレードの兼ね合いについて分析を行っている。
第8章「コーヒー危機を超えて」
「コーヒー危機」という言葉はあまり聞き慣れない人が多いので、ここで少し説明する。
「コーヒー危機」とは国際先物市場で価格が2度暴落した事象のことを表す。1回目が1989年頃、2回目が2001年頃に起こった。特に後者は100年間で最も低い水準にまで下落したことから、本によっては後者のみで表されていることが多い。(「コーヒー危機の原因とコーヒー収入の安定・向上策をめぐる神話と現実-国際コーヒー協定(ICA)とフェア・トレードを中心に-」妹尾裕彦 より)
先物市場のことを指しているのだが、この「コーヒー危機」そのものの原因を追っていくと、私たちが親しんでいる喫茶店や缶コーヒーも少なからず影響を受けていることから決して他人事とは言えない。
そのコーヒー危機の中でなにが見えてきたのか、そしてそこから何を教訓に生かすのかを分析・提言を行っている。
私たちの生活の中で欠かせないものとなっているコーヒー。そこには「経済」が根深く関係していることがよくわかる。その経済はなかなか侮れず、日本のみならず、中南米を中心に動いていると言っても過言ではない。そのことを本書は知らしめたのではないだろうか。
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