日本でデモと言えば、今も昔もあるのだが、2011年の福島第一原発事故を機に「脱原発」デモを中心に、デモ活動が広がっていた印象がある。
同年には、日本以外にも中東諸国で起こった「アラブの春」、アメリカでは「オキュバイ運動」、他にも日本と同じような「脱原発」と世界各地で様々なデモ運動が起こった。しかしそのデモはあたかも「お祭り」の様相を見せている。
「社会運動」としてのデモであるが、その「お祭り」となった要因、さらにはデモが起こった要因について本書は分析をしている。
第1章「お祭りデモと日本のプロテスターたち」
「プロテスター」は直訳すると「抗議者」を指す。キリスト教における「プロテスタント」と同義語である。
「デモ」に参加する人は必ず「プロテスター」なのか、というと実はそうではない。一見抗議をする事はしても、けっこう「面白半分」、もしくは「お祭り気分」で参加する人もいる。
シリーズ「1968年を知らない人の『1968』」の中でも書いたのだが「1968」と44年目の輪廻のごとくデモ活動は再び広がりを見せているが、その要因と参加者の心情は異なる、前者については第3章にもつながるためここでは割愛する。
第2章「占拠デモと世界のプロテスターたち」
2011年はまさに「デモの年」という言える年だった。最初にも書いたように中東諸国では「アラブの春」が起こり、アメリカでは「オキュバイ運動」が起こった。「アラブの春」については「中東 新秩序の形成―「アラブの春」を超えて」にて紹介されているのでここででは割愛する。本書で注目するのはアメリカで起こった「オキュバイ運動」についてである。
「オキュバイ」とは「占拠」のことを表しており、2011年9月17日に「反格差」を求めて、アメリカ経済の中枢にあたるニューヨーク・ウォール街を占拠し、デモを起こしたことがきっかけである。そのウォール街占拠、ちょうど10年前に9.11が起こったことをきっかけに、アメリカ全土にまで広がった。
第3章「ソーシャルメディア革命の深層」
2011年に世界中でデモが起こった要因、それは「ソーシャルメディア」によるものが大きかった。なかでも「Facebook」からの呼びかけによりデモの規模が大きくなったことにも起因している。これは2011年に限った事ではなく2009年春にもイランで相次いだ民主化デモも「ツイッター革命」と称されており、それが「Facebook」になった形とも言える。
第4章「市民運動の原理とその変容」
2011年からは起こり始めた「反原発」デモは2012年夏にピークを迎えた。その「脱原発」デモは「市民運動型」「サウンドデモ型」「ピースウォーク型」と三つにわかれている。
本章ではそのデモの三つの型について分析を行っているだけではなく、そもそも市民運動はいかにして成り立ち、形成されていったのかを分析している。
第5章「市民運動型デモとお祭りデモ」
第4章にてデモの形について紹介をしたが、そもそも「市民運動型」と「お祭りデモ」の違いは一体何なのか。本書では呼びかけ文やデモ運動そのものの形について分析をしている。
第6章「社会を帰る運動・創り出す運動」
そもそも社会運動としての「デモ」は社会を変える存在となるのだろうか、或いはつくりだす存在となるのだろうか。本来の形の「デモ」と言えばそうではあるかもしれないが、「お祭りデモ」もあるようにある種の自己満足によって「デモ」が形成されているようにも思えてならない。
第7章「抗議する運動・関係する運動」
「運動」という一括りにしても、「助け合う運動」「抗議する運動」とが存在する。頃まで紹介してきたデモは大抵後者のことを指している。では前者はどういう運動を指しているのか。簡単に言えば奨学金や補助金を求める運動のことを指している。
また、「デモ」というと市民団体が列をなし練り歩きながらシュプレヒコールをあげることを想像してしまうか、インターネット媒介とした運動も盛んに起こっていることも本書では事例として存在する。
ソーシャルメディアが出てきたことにより、ビジネスにもコミュニケーションにも変化を生じた。同時にメディアやデモ活動にも変化を生じたことは、紛れもない事実である。この潮流はもはや止まらない。むしろその形がどんどん変化しながら、続いていくのだろう。本書を読んでそう見て取れた。
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