日本のポップ・カルチャーの代表格としてマンガやアニメ作品が挙げられる。数十年にわたって日本のみならず、海外でもブームが起こっており、日本文化の一つとしても挙げられている。
しかし、その中でもマンガは東京都の「青少年条例」や国の「児童ポルノ法」の槍玉に挙げられ、前者はすでにマンガのキャラクターなど「非実在青少年」も対象に挙げられている。
本書はその「規制」について問いを投げている。
第一章「ドキュメント「非実在青少年」規制問題」
東京都の「青少年条例(東京都青少年の健全な育成に関する条例)」改正により規制の対象が「非実在青少年」まで広がったのは2010年末のことである。それが成立するまでの過程では、都議会内外で紛糾するほどであった。いったん2010年3月に同様の条例案が提出され、審議されたが、否決された。しかし当時の都知事をはじめ、それに賛同する議員の後押しもあり、ふたたび法案が提出され、議論の末、成立された。
第二章「規制の論理とその仕組み」
マンガにおける表現規制に関しては、法や条例が定められた時よりも前からずっと起こっていた。詳しいところは第三章・第四章で歴史として記されているが、ここでは「松文館事件」や「児童ポルノ法」「わいせつ罪(刑法)」などの法律や事件について法や条例が制定されるまでの流れを取り上げている。
第三章「マンガ規制の歴史1(1950年代から80年代前半)」
本章と次章では「マンガ規制」そのものの歴史を取り上げている。第三章は初期~80年代前半までについて取り上げられている。本章のタイトルにある通り、手塚治虫が「新宝島」でデビューし、日本におけるマンガが表舞台に出始めた頃から起こっていたことになる。
それと同時に隆盛を極めたのが「赤本マンガ」と呼ばれるものがあり、いわゆる「エロ」や「グロ」「ナンセンス」を基調としたマンガである。この「赤本マンガ」に対し、婦人会などが槍玉を挙げ、規制をかけるべく訴えたという。既にマンガに対する嫌悪感と規制にまつわる声は60年以上前から続いていたことになる。
この婦人会による運動は「悪書追放運動」と呼ばれており、一種の「魔女狩り」とする声もある。有害と言われるマンガを校庭に集めて焚きつけにする、いわゆる「焚書」が横行した。
第四章「マンガ規制の歴史2(80年代後半から現在)」
「赤本マンガ」と呼ばれるマンガは形を変えながらも様々な形で受け入れられている。しかしそれに対し嫌悪する者も昔も今も変わらない、とも言える。
しかしこの80年代を伏線に「エロ」「グロ」や犯罪要素を盛り込んだマンガを「有害コミック」とし、槍玉に挙がる。以前にもあるように見えるのだが、1989年に「連続幼女誘拐殺人事件(宮崎勤事件)」が起こったことで「マンガバッシング」「おたく叩き」が過熱化した。
第五章「マンガ規制は何を意味しているのか」
「性表現の規制」であれば、別にマンガに限ったことではない。裾を広げてみれば小説もあれば、川柳、もっと言うと古典にも性的な表現はある。しかしなぜ「マンガ」だけが「規制」されるのだろうか。
「マンガ」は子供たちが見るものであり、その「マンガ」は度々性的な表現を持つ。その性的な表現を持つことで子供たちの「健全」が失われてしまう。
ステレオタイプかもしれないが、これが「マンガ規制派」の論理である。では「表現の自由」は侵害されるのでないか、もしくは「健全」とは何を意味しているのか、という問いが続々と出てくる。しかしマンガ規制にしても、非規制にしてもそれらの議論は60年の時を経て未だに平行線を辿っているという他ない。
「マンガ規制」と一括りにしても、歴史も議論も根深く、短絡的に「規制」したからと言って解決するわけがない。「規制」しなくてもまた然りと言える。それは思想の根幹が対立しており、その隔たりは深い。
しかし第五章でも言及したのだが、なぜ「マンガ」ばかりが規制されなければならないのか、そこにはマンガだけではない、「ある」事情があるのかもしれない。その「ある」という部分が未だに謎と言える。
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