美の生理学―人はなぜ美しさを求めるのか

「生理学」と言う学問はあまり聞き慣れない。むしろ本書に出会うまでは一度も聞いたことがなかったと言っても過言ではない。そもそも人間として「生理」というのは必要なものであるが。けっこう女性の意味合いで取られることが多い。本来生理は辞書で引いてみると、

(1)生物体の生活現象と生活原理。
(2)月経。「広辞苑 第六版」より)

とある。本書はその中でも(1)の意味を求める学問だが、その生理学は「美」と密接な関係がある。その密接な関係にある要因と「「美」とは何か」について本書は学術的に迫っている。

第一章「生理学とは」
「生理学」は新しい学問なのかと言うと、歴史を紐解いてみると古い。元々古代ギリシャ時代からできていた学問であり「フィシス(自然)」と「ロゴス(論理・道理)」を合わせて作られた言葉で、物理学とともに誕生している。
物理学は「物質」にフォーカスしている一方で、生理学は「生命」にフォーカスしていたが、18世紀頃から生命に関する学問対象が広がり始め「自然哲学」「医学」などに分岐されていった。今では「生理学」と言う言葉をあまり聞かないのだが、「医学」「自然哲学」など生命を根源にしている学問の源は「生理学」と言えるのである。

第二章「美とは何か」
「美」の定義は人それぞれである。というのはその人自身が見聞きしたものが「感性」となり、それが自分の「美しい」基準がつくられる。そのため画一的な定義をするのは難しい、できたとしても、

(1)愛らしい。かわいい。いとしい
(2)形・色・声などが快く、このましい。きれいである。
(3)行動や心がけが立派で、心をうつ。
(4)いさぎよい。さっぱりして余計なものがない。「広辞苑 第六版」の「美しい」より一部改変)

と言う風な定義となる。それが合致するかどうかであり、しかも「美」は異性の容姿ばかりではなく、美術・音楽としての芸術的な「美」、自然風景を表す「自然美」など、様々な用法で使われる。

第三章「人はなぜ美を求めるのか」
では、なぜ人は「美」を求めたがるのか。それは感覚的な観点から、感情の観点から考察を行っている。「感覚」と「感情」の二つの違いについてだが、「感覚」は第二章の中でも書いたのだが、見聞きしたもの、一方で「感情」は自分自身の「本能」の違いである。

生理学の観点から「美」を求めるというユニークな一冊であるが、そもそも「美」を求めるのは難しい。本書のように生命などを司る学問もさることながら、哲学、宗教学、心理学など多くの学問が絡む。そのため「美」の本質はあるように見えて未だに見えてこないのかもしれない。しかし本書の締めくくりとして著者はこう示している。

「結局、美しいものを求めるというわれわれの欲求は、生活活動そのものである」(p.227より)

人は誰しも「美しいもの・こと」に憧れ、美しいものを求めることはあくまで「生理」にあるのでは、と著者は踏んでいるのだろう。