変化の人—努力すれば、苦難を乗り越える出会いが訪れる

生存原理として生き残るためには「変化」が必要である。しかしわかっていても日本人は「変化」を嫌う民族である。そのため「変化」を求めようにも、周囲の圧力により断念せざるを得ないケースもある。しかし日本人の中には「変化」を好み、時代の波にさらされながらも、流されもせず、己の信念をもって変化を行い、大成功を収めた人が何人もいる。その人々はいったいどのような変化を行ってきたのか、その変化に対する抵抗に対して、いかにして立ち向かったのか、本書は著者が生涯の間に出会った10人の「変化(へんげ)の人」たちとの思い出と、著者自らの人生をもとに「変化」の大切さを説いている。

第一章「国内で出会った「変化の人」たち」
著者の会社は元々洗剤を製造し、販売する会社であるのだが、その洗剤をもってして、史上を名古屋にあきた串、後に化粧品市場にも参入し、大成功を収めた。その中で集約をし、進展し、市場を開拓し、そして他事業に進出し、発展させた人々は著者の会社のなかにあった。著者が行く先々で出会い、学ぶことのできた「変化の人」は会社にとっても、自分にとっても大きくなっていくきっかけといえる方々だった。

第二章「未知への挑戦」
変化を続けていく中で、本章のタイトルにある「未知への挑戦」もあった。それが「海外進出」だった。最初は台湾へ進出を果たし、その後韓国、中国、香港(当時イギリス統治下)、タイ、インドネシア、ベトナムなどにも進出した。日華化学が海外進出を始めたのは1964年頃、ちょうど東京オリンピックが行われた年である、そのときに初めて韓国進出を果たそうとしたのだが、失敗に終わってしまった。それにもめげず、1968年に海外進出を果たしたが、そこでも「変化の人」の信頼を築き上げ、大成功を収めた。当時の日本社会は海外進出は夢のまた夢のような状況にあったのだが、その先鞭を付けたことこそ、「変化」を愛し、実行した方々の賜物と言える。

第三章「怒涛の進撃」
決して昨年流行した「進撃の巨人」をもじったわけではないことだけは断っておく必要がある。
それはさておき、台湾の大成功を機に、韓国進出のリベンジ、さらには第二章にも書いた国々の進出も続け、いずれも成功に導いた。それぞれ著者が信頼した「変化の人」との出会いと、信頼関係によってなすことができたと言える。他にも「日本的経営」の一つとしてある「大家族主義」を浸透させることにも貢献することができたのも海外進出の成功とともにあると言える。

第四章「大家族主義の源流」
では著者のいう「大家族主義」とはいったいなんだろうか。本章を見ると、

「大家族主義とは「互いに相手を思いやること」である。そして、その思いが信頼関係を生み、信頼関係が社外にまで広がると盤石な経営基盤が築かれる。会社や事業は本来、そのようにして発展・成長していくものであると思うが、わが日華化学の発展のプロセスがまさにそれだった」(p.163より)

とある。家族は相手を思いやってこそ、様々な愛情を注いだり、もらったりすることができる。それが会社にも通用することができ、互いの信頼感や思いやりを持つことによって、組織は活性化し、思いも寄らぬ「変化」をつけることができる。日本的経営の一つとして「大家族主義」が挙げられるのだが、日本でしかできない「強み」を経営に転用したからでこそ成功したとも言える。

第五章「わが最大の「変化の人」江守清喜」
最後に取り上げる「変化の人」は著者の義父である江守清喜日華化学前会長である。それは著者が日華化学に入った頃からの思い出の人であり、福井大空襲からの生還の思い出、上司・部下を超えて、義理ではあるものの親子関係にまで及び、仕事の厳しさと、義父のやさしさ、そして何よりも変化に対する「熱意」を学ぶこととなり、それが著者にとって大きな血肉となった。

実は本書が発売される少し前である、今年の8月に著者が帰らぬ人となった。そのため著者の遺作といえる一冊であり、86年にも及ぶ「変化」の生涯をすべて綴ったと言っても過言ではない。むしろ「変化」を行った人に出会い続け、成長していった足跡がここにあると言っても良い一冊である。

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