イエレンのFRB―世界同時緩和の次を読む

ベン・バーナンキの後任として連邦準備制度理事会(FRB)議長に就任したのはジャネット・イエレンであり、2014年の1月に就任した。就任当初はFRB史上初の女性議長として話題となったが、就任して約2年経ち、どのような手腕を振るい、アメリカ経済を動かしてきたのか、その足跡を追っている。

第1章「議長交代―Your Team Is Up」
イエレンがFRB議長になる前、アメリカの経済は大混乱の状態だった。それは2013年10月に起こった「米政府機関の一部閉鎖」だった。その理由は財政協議の決裂に伴い、暫定予算が否決されたことにある。私たちの中でも象徴的なものとして、ニューヨークにある「自由の女神」が閉鎖され、入場できなくなったというのがある。
それ以前にもバーナンキは2期目で続投を望んでおらず、オバマ大統領にもそう伝えていた。そのことから新たな議長の人選が始まったのだが、その時の人選で注目されたのがイエレンとローレンス・サマーズだった。人選が始まった当初はイエレンの方が就任する確率が高かったのだが、シリアの迷走などによりリベラル派が台頭し、サマーズを推す声が高まったのだが、9月にサマーズ自ら就任候補辞退となったことから、イエレンが就任確実視された。その確実視されたときに1章の冒頭であった。議会の混乱と経済の混乱であった。そのことにより、イエレンの就任発表が遅れてしまった。

第2章「ジャネット・イエレン―Small Lady with Big IQ」
イエレンがFRB議長に指名されたのは2013年10月9日、オバマ大統領がホワイトハウスにて発表した。
そもそもイエレンはFRB議長になる前、どのようなキャリアをたどっていったのか。元々イエレンは大学院修了後、ハーバード大学で教鞭を執った後、FRBで6年間国際金融などのエコノミストになった。退任後、カリフォルニア大学のビジネススクールにて教鞭を執り、その後1994年からFRBの理事となり、大統領経済諮問委員会の委員やサンフランシスコ連邦準備銀行総裁、FRB副議長などを歴任した。

第3章「バーナンキの革命―You Say You Want a Revolution」
イエレンの前任であるベン・バーナンキは8年の任期の中でサブプライムローン問題やリーマンショックなどの金融危機の対応に当たることが多かった。その中で主として行われたのが「量的金融緩和政策」であり沈静化を図った。しかし対応の遅れにより、国内外から批判を浴び、2期目前の信任投票の時には辛くも信任されたという。他にもティーパーティーを始めとした議員との対立もあり、デフォルト危機に立たされることもあったという。それが2010年の時である。

第4章「イエレンのFRB―Change the World」
バーナンキが議会との対峙を行ったのと同じく、イエレンの時もまた議会の対峙があった。その一つとしてバーナンキから続いている「債務上限」によるデフォルトの懸念だった。しかしその懸念もバーナンキの方針を踏襲しながら対処している。他にも「雇用」や「量的緩和」など、イエレンの政策についてポイントごとに解説している。

第5章「米国と日銀革命―Interaction」
量的緩和政策が行われ始めた当初、アメリカでは「日本(失われた10年)の二の舞が起こるのでは?」という疑惑が持たれたのだが、バーナンキは「日本の轍は踏まなかった」と答えた。これは2012年4月に行われた記者会見での質疑応答によるものである。
話を本章に戻すが、本章の言う日銀革命は2013年4月に黒田東彦が日銀総裁に就任してから「異次元緩和」を行ったことで話題となったが、その出来事と米国との関係について歴史的な観点から考察を行っている。

第6章「欧州の革命―Anarchy in the UK, and Euro」
欧州は「ソブリンリスク」をはじめとした、経済的に危機的な状況にある国がいくつもある。そのためか経済的なゴタゴタがよく起こっており、特に3~4年ほど前までは際立っていた。その欧州とアメリカとの関係について取り上げているのが本章である。

第7章「海図なき航海―Uncharted Journey」
今の経済は、まさに本章のタイトルのようであり、各国ともに暗中模索状態である。そのような航海をしている中、日本・欧州・アメリカとでどのような方向に行くのか、本章ではそのことについて取り上げている。

イエレンのFRB議長の任期は2018年2月3日までである。それまでの2年間、イエレンはどのような足跡を残すのか、それはイエレンだけではなく、オバマ時代、さらにはオバマ以降大統領となる米政府との兼ね合いもあり、先が読めないのが現状である。