サリン事件死刑囚 中川智正との対話

本書の著者は毒性学や化学兵器などの専門家である一方で、オウム真理教に関する一連の事件においてサリンの分析方法や、本書で取り上げる中川智正元死刑囚の面会も行っていた。2018年7月6日に死刑が執行された。その執行されたわずか1ヶ月足らずに本書が出版された。松本サリン事件や地下鉄サリン事件などの一連のサリン事件、そいて化学兵器・生物兵器製造の実態と、亡くなるまでの間の日々について面会や、事件の捜査を通じての対話の日々を取り上げたのが本書である。

第1章「サリン事件解決に協力する」

元々サリンは第二次世界大戦のあたりにて初めて開発されたのだが、実用化されることがなかった神経ガスである。実際にサリンは第二次世界大戦後で開発・実験が行われたのだが、実際に使われたのが松本サリン事件と地下鉄サリン事件が初めての事である。そのため松本サリン事件当初は「サリンとは何か?」という疑問から始まった。

第2章「オウムのテロへの道のり」

報道でも繰り返し書かれているとおり、オウム真理教は元々「オウムの会」と呼ばれているヨガ教室だった。当初は和気藹々とした洋室だったのだが、いつしか宗教団体へと変わっていった。その中で信者の財産をお布施として巻き上げたり、いくつかの商売に手を出したりして、資金を増やしていった。しかし教団に対して批判的な人も出始めたが、恐怖政治で押し込めた。そして政界に進出しようとするも失敗、暴走は最高潮に達し、一連のテロ事件に手を染めることとなった。

第3章「中川死刑囚との面会」

著者が初めて面会したのは2011年12月14日、その時の面会の事を綴っている。さらに死刑囚が収容しているのは「拘置所」であるのだが、「拘置所」と「刑務所」が異なるところであるというのも著者自身が初めて知ったという。

第4章「中川死刑囚の獄中での生活」

中川と面会した当初から「確定死刑囚」となった。この死刑囚との面会や差し入れなどについても大きな制限がかけられているのだが、どのような制限があったのかについて克明に記している。

第5章「オウムの生物兵器の責任者、遠藤誠一」

実はオウム真理教では、サリンなどの化学兵器のみならず、生物兵器もつくられていた。ボツリヌス菌や失敗したものの炭疽菌の開発も行っていたという。その中心人物として遠藤誠一がいた。

第6章「オウムの化学兵器の中心人物、土谷正実」

そしてサリンの合成に成功し、兵器として作った中心人物が土谷正実である。元々土谷は化学を専攻していた。しかし土谷は元々交通事故に遭い、治療の目的でヨガを始め、オウム真理教の門を叩いた。当初はヨガの研究や実行を行っていたのだが、やがて教団から化学知識を持っていることを重宝され入信をすすめられ、入信することとなった。その後化学兵器の開発を任されるようになり、サリンの製造を行うようになった。

第7章「麻原の主治医、中川智正」

そして本書の中心人物である中川である。中川は教祖である松本智津夫(麻原彰晃)の主治医として健康管理を担っていた。やがて、側近として活躍するようになり、一連の事件にも関わっていた。

第8章「3人の逃走犯」

地下鉄サリン事件以降、多くのオウム真理教幹部が逮捕されることとなったのだが、長らく逃走していた人物が3人いた。平田信、菊池直子、髙橋克也である。この3人は警察を始め、様々な所で顔写真入りのポスターが貼られたおり、私も何度目にしたかわからないほど目にしたほどである。長い逃走劇だったが、あっけなく終焉を迎えた平田信が2011年の大晦日に警視庁本部に出頭してからである。それから約半年で残りの2人も逮捕された。

第9章「中川死刑囚が語るオウム信者の人物像」

著者が中川と面会した中で、オウム信者の中でも幹部にあたる人々はどのような人物だったのかについて中川の視点から綴っている。メディアではあまり取り上げられなかった側面である。

第10章「上九一色村とサリン被害者の現在」

山梨県上九一色村(現在は分割され、北部が甲府市、南部が富士河口湖町に編入された)では多くのオウム真理教の施設(サティアン)が構えられ、オウムの村という負のレッテルを貼り続けられた。地下鉄サリン事件が発生した翌年に完全に撤退されたのだが、今もなおその記憶が残っているほどである。その村とサリン事件の被害者の現在を追っている。

第11章「オウム事件から学ぶ、将来への備え」

日本ではテロへの対応策については若干進んでいるのだが、諸外国に比べると遅れているとも言える。もっとも一連のオウム事件ではテロ対策がされていなかったことが露呈されたことにより、安全な国である日本がテロ事件に襲われることについて世界中でも衝撃を受けたほどである。どのようにしてテロを回避するか、そしてテロ対策をどうするべきか、そのことを提言している。

第12章「中川氏最後のアクティビティ」

中川の死刑が確定し、オウム事件における一連の裁判が終結してから、死刑執行されるまでの一部始終を綴っている。その中で、死刑囚による再審請求があったが、全て棄却され、2018年7月6日に中川は刑場の露と消えた。

オウム事件はもはや過去のものとなりつつある。地下鉄サリン事件からも既に25年の月日が流れている。しかしこの事件は決して忘れてはならない。化学兵器を利用したテロ事件であり、なおかつ日本史上最悪の死傷者数を出したテロ事件であるのだから。