ヴィクトリア女王―大英帝国の“戦う女王”

現在のイギリス女王であるエリザベス2世は今年の9月9日に、高祖母であるヴィクトリア女王が持っていた在位期間を抜き、イギリス史上最長の君主となった。また最高齢君主もすでに2007年にエリザベス2世女王が塗り替えたのだが、塗り替える前の君主もまたヴィクトリア女王である。

かつて史上最高齢で、なおかつ史上最長の在位期間を持っていたヴィクトリア女王は、その在位期間、俗に「ヴィクトリア朝」と呼ばれるほどイギリスに大いなる繁栄をもたらし、「大英帝国の象徴」にまで至った。本書はそのヴィクトリア女王の女王即位から崩御までの期間がどのような治世を行ってきたのかを取り上げている。

第Ⅰ章「「暗黒の時代」の女王即位」
ヴィクトリアが女王に即位したのは1837年のことである。女王の即位する50年以上前の時、ちょうどジョージ3世がイギリス国王だったとき、はまさに混迷を極めた時代であったのと同時に、産業革命に伴い「世界の工場」と呼ばれる時代だった。そのジョージ3世は現在の女王であるエリザベス2世、本書で取り上げるヴィクトリア女王について歴代の君主の中で3番目に長く、60年もの間王に君臨していた。その「混迷」というのはこの時期「アメリカ独立戦争」や「フランス革命」、そして「ナポレオン戦争」と言った難局があったという。
そして本章ではそこからヴィクトリア女王に即位する事になったのだが、ピューリタン・名誉という2つの革命、そして「寝室女官事件」など女王としての支持が低い状態からスタートとなった。

第Ⅱ章「戦う女王への変貌」
その後ヴィクトリアはアルバートと結婚することになったのだが、その結婚までのプロセスでも苦難の連続であり、ヴィクトリアにとっても、その夫となるアルバートにとっても苦難の連続だった。政治でも即位の頃から混迷を極めたのだが、夫妻の「共同統治」にしたことにより、戦う女王へと変貌することとなった。

第Ⅲ章「アルバートの死と王室の危機」
しかしその共同政治はアルバートの薨去により、終焉することとなった。最愛の夫を失い、深い悲しみに包まれたヴィクトリアは1901年に崩御するまでずっと黒い衣装で一貫することになった。さらに言うと、夫の薨去から10年はロンドンを離れ隠遁生活を送ったという(ただし、公の場に出なかっただけであり、政治的な関与は続けていた)。そのこともあってかメディアも女王に対する批判を強めていった。しかもその隠遁先である使用人を寵愛したことにより、大臣・メディアのみならず、親族も批判することとなり、根も葉もない噂が出てくるようになった。その影響で王室への支持も低下し、王室そのものの危機に立たされることとなった。

第Ⅳ章「女王から「女帝」へ」
深い悲しみから脱し、ようやく公務にも復帰した後、政治的に深く関与することとなった。その中で最も深く関与していた時期としてベンジャミン・ディズレーリが首相となったとき、その政治手腕を高く評価しつつ、彼の政策を全面的にバックアップしたという。その中にはヴィクトリアの根幹となる外交政策である「帝国主義」があった。帝国主義の外交は女王即位からずっと行ってきたが、ディズレーリ政権時代にそれが顕著になった。

第Ⅴ章「二大政党の確執と女王の憂鬱」
女王の権力は強かったものの、政治に翻弄される時もあった。その翻弄された原因としてイギリス議会の度重なる政権交代にあった。その翻弄された中で大きな確執も生まれた。主たるものとして保守党と対立する自由党、そして何度も首相となったウィリアム・グラッドストンとの対立があった。そもそもグラッドストンは保守党のみならずヴィクトリアに対しても何度も批判をしていたことが原因だった。

第Ⅵ章「大英帝国の女王として」
ヴィクトリアの晩年は消極的なものだった。晩年は保守党が政権を握っており、首相もヴィクトリアの信頼をしており、全て任せることとなり、趣味に没頭する毎日を送っていた。そして世紀が20世紀を迎えたばかりの1901年1月22日、ヴィクトリア女王は崩御した。

ヴィクトリア女王の時代は63年という長きにわたるものだったが、その長さだけではなく、「大英帝国」と呼ばれた覇権時代そのものだったとも言える。その事もあり、最初にも記載した「ヴィクトリア朝」と呼ばれるほどだった。王の時代はまさに歴史そのものであると言われるのだが、その最たるものがヴィクトリア女王だったと言える。