人間の値打ち

人間には色々な「値打ち」があるという。その値打ちを決めるのは周囲なのか、じぶんなのかはわからない。しかしその値打ちを知ることは果たして必要なのか、そしてそれを自分・他人が下すことによって心的な病を持ってしまうことにもなりかねない。果たして価値や値打ちを持つべきなのか、そうなるのであればいったい誰がそれを決めるのか、そのことを論じている。

第一章「人間の「値段」と「価値」について」
人間としての価値や値段というと、他人や自分が定められることもあれば、ツールを使って算出するものもある。もっともそれを出すことによって「格差」が生まれてしまい、差別の温床になることもある。

第二章「「働くこと」「愛すること」と「生きる価値」」
働く・愛することは生きることにも通ずるものがある。しかしそれらを行うことによって、自分自身の生きることの「意味」になるのだという。もっとも自分自身がそうすることによってストレスになることもあるのだが、報われる事もある。ではその「報われる」こととは何か、そのことを論じている。

第三章「困難なときに現れる人間の「値打ち」」
困難は誰にでも存在する。存在する「困難」は大小、あるいは種類によっても違いはあるのだが、それに出会うことによって自分自身の価値を見出すことになり、なおかつ値打ちや価値を育むことができるようになる。

第四章「人間の「価値」ってなんだろう」
そもそも人間としての「価値」とは何を意味しているのだろうか。他人の評価なのか、役割なのか、それは何も分からない。そもそも価値の「定義」自体も曖昧なものであり、人それぞれである。

第五章「自分の「価値」を決められるのは人間だけ」
自分自身の価値をつくり出すのは、自身の行動や思考によって存在するようになる。そもそも、どのようにして自分の「価値」をつくりだすのか、そのことを取り上げている。

生きること、働くこと、様々なことに「価値」が存在する。その「価値」を見出すのは第五章でも書いたように自分自身である。その自身の価値をつくり出し、なおかつ他人にも認知されるようにすることも必要であるのだが、それにとらわれすぎてしまってはいけないことを本書にて諫言されているように思えてならなかった。

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