死の虫 – ツツガムシ病との闘い

あまり聞き慣れない病であるのだが、長らく新潟県や秋田県、山形県では「風土病」として扱われ、なおかつ「死の病」として挙げられることが多かった。感染症のひとつであり、実際にどのような虫なのかというと、肉眼では視認の難しいごく小さな虫によるものであり、その虫によって感染症になった人も多く、なおかつ治療法もほとんどなかった。ましてや病気の原因菌の判明から治療薬の発見に至るまでの道のりは平坦なものではなかったという。そのツツガムシ病はいつ頃から言われ始め、解明していったのか、その道のりを取り上げている。

第1章「明治時代―新潟県、秋田県の謎の熱病」
風土病といわれ、明確な治療法がなかった時代は毎年十人~数十人と呼ばれる死者が出た。明治時代に入ったときにはツツガムシ病の他にもある虫から来る疫病があるのだが、その病原菌の解明や治療法の発見をするための研究機関が次々とできはじめた。しかしながら「ツツガムシ病」は解明できなかったとは言え、その病を予防するための習わしなどができたほどである。

第2章「大正時代―謎の熱病は山形県にも」
未だに原因が謎であった「ツツガムシ病」であるのだが、最初は新潟と秋田に蔓延していたのだが、それが山形県にまで広がるようになった。その要因についても取り上げている。さらにこの時代において新たなるツツガムシ病の病原菌が見つかったのだが、そのことも言及している。

第3章「昭和時代 戦前―病原体は新発見の微生物」
研究の技術が進歩し、ようやく病原体の新発見につなぐことができたのは大東亜戦争前のことであった。その病原体が見つかるまでも様々な実験を通してのことであり、病原に関する論争を経て、ようやくワクチンをつくるきっかけを生み出すことができた。

第4章「昭和時代 戦後―治療薬の発見と日本各地の有毒地」
大東亜戦争後は、病原菌を元にした治療薬がやっとでき、死亡者数が減少するかに見えたのだが、実際は減少はほとんどしなかった。疫病に関して宿命と言われているのだが、ワクチンができてからその感染菌がワクチンの効かない変異種ができ、そしてそこから新たなワクチンができるというイタチごっこのような状況ができはじめた。

第5章「平成時代―科学と感染症」
時代は平成に移り変わると、病原菌の検出から、治療はもちろんのこと、症状の早期発見も確立されるようになった。その科学の進歩と感染症の進歩は第4章でも述べたようにイタチごっこのような状況であり、なおかつ今日でも発生し続けている。

ツツガムシ病は過去の感染症ではなく、現在進行形で広がっているものである。しかしながら診断や治療法が確立し始めており、死者数は少なくはなっているものの、完全に消滅したとはとても言い切れない。しかしながら根絶に向けて今日もまた科学者たちの戦いは続いている。その姿が本書にて表れている。