お殿様、外交官になる 明治政府のサプライズ人事

江戸時代における「殿様」にあたる人々が明治時代になると廃藩置県に伴い、様々な境遇を迎えることとなった。その中には明治政府における外交官として活躍する人々がいた。本書はその外交官になった武将や殿様たちを取り上げている。

1章「鍋島直大(なべしま・なおひろ)」
肥前佐賀藩の藩主であった鍋島直大は幕末の動乱の時代の時に薩長が台頭していく中での土肥の一角に食い込み、明治になってからは留学を行い、その経験から外交官になった。ちなみに鍋島は日本で初めての外交官と呼ばれ、イタリア駐在公使となった。

2章「浅野長勲(あさの・ながこと)」
安芸広島藩の藩主であった浅野長勲は1章で取り上げた鍋島の後任としてイタリア駐在公使となったのだが、そもそも浅野は外交官の中でも「異色」であった。その大きな理由としては外様である以前に「洋行」と呼ばれる外国への留学経験がなかったことにある。そのため海外での生活は苦しさもあり、なおかつ元いた所での食事が恋しくなり2年で辞任した。

3章「戸田氏共(とだ・うじたか)」
美濃大垣藩の藩主であり、オーストリア駐在公使となった戸田氏共は妻の極子(きわこ)が美人で有名であり、特に「鹿鳴館の花」として有名であり、舞踏会でも花であった。しかしながらその花は醜聞(スキャンダル)に見舞われる。それを乗り越えていった姿も描かれている。またその極子がブラームスの前で琴を演奏を披露する絵も取り上げている。

4章「蜂須賀茂韶(はちすか・もちあき)」
阿波徳島藩の藩主であり、後に駐仏大使を務めた。元々蜂須賀茂韶の父である斉裕(なりひろ)は江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の第二十二子であるため、「将軍の孫」の一人でもあったため、その呪縛は明治維新からもあった。大名から大使になってからも生活や考え方は変わらなかったという。

5章「岡部長職(おかべ・ながもと)」
和泉岸和田藩の藩主から駐英公使館参事官となった岡部長職は明治になってから長らくいた岸和田を離れ、東京を経てイギリスへ留学することとなった。そのイギリスではイェール大学で学び、外交官の道を歩むこととなった。

6章「柳原前光(やなぎはら・さきみつ)」
大名から華族へ、そして清国からロシアの大使を歩んでいった柳原前光は幕末から明治にかけての外交の歴史を歩んでいったと言える代表的な人物の一人としてあげられる。もっとも「大使」として歩んだ国として明治時代に日清戦争と日露戦争の二つの戦争の敵国となった存在である。

7章「榎本武揚(えのもと・たけあき)」
元々榎本武揚は明治時代に入った時に起こった戊辰戦争では「賊軍の将」として挙げられた。しかしながら蝦夷地に上陸し、後の北海道開拓の中心人物の一人として挙げられた。男気と身のこなしが他の外交官に認められ、外交にも進出することとなり、6章で取り上げた柳原とは逆のロシアから清国へと大使を歴任した。

幕末の藩主・殿様たちは明治時代になってから、政治から排斥された者もいる。しかし逆に新政府の中枢として活躍する者もいれば、本書のように外交官として活躍した者もいる。外交官としては日本が海外で活躍するためにどうしたら良いか、その礎となった方々ばかりであることが本書でよくわかる。

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