今でこそ新型コロナウイルスの影響により部活動ができない状態が続いている所が多い。もっとも大会についても中止が相次いでおり、正常化するのはまだ先の話になる。
大会になってくるとレギュラーが選ばれるのだが、そのレギュラーになれなかった人びともいる。そのレギュラーになれなかった人はその後どのような人生を送ったのか、本書は甲子園の常連校で、なおかつレギュラーに選ばれなかった方々を取り上げている。
1.「甲子園のスタンドから巨人の星を目指す」
もっとも野球部は学校によっては規模が様々であるが、強豪校になると数十人、多いと百数十人にまでなってくる。甲子園に出るとなると、レギュラーはもちろんのこと、ベンチ入りする人もいれば、ベンチにすら入れない球児もいる。本章ではそのベンチ入りすらできず、甲子園でもアルプススタンドで応援をするしかなかったという。そこから大学へ進学してからはメキメキと頭角を現し、プロとして育成選手登録を受け、その後支配下選手へと変わっていった。ベンチ外からプロへというサクセスストーリーとも言える。
2.「野球の世界に別れを告げてクリケットに転向」
前の人とは打って変わり、こちらは甲子園のレギュラーとして活躍し、プロに入団したが、そこではレギュラーと呼ばれる1軍で1度も活躍せず、2軍では出場経験はあるものの成績はパッとせず、戦力外通告を受けて引退をした選手を取り上げている。プロ野球を離れクリケットに目覚め、クリケット選手としての毎日を送っている。
3.「三年生部員が挑む最後の試合『ラストゲーム』」
ベンチ入りすらできない3年生が折り、その3年生だけでの「ラストゲーム」を取り上げている。ここでは野球でもサッカーでも強豪校でもある國學院久我山高校であるが、下にて取り上げるのは2004・2005年と夏の甲子園連覇を達成した駒大苫小牧の姿である。この姿とも重なり合う。
4.「名門・広陵を優勝に導いた背番号18のキャプテン」
甲子園では常連校の一つである広島の広陵高校。2017年でも準優勝と活躍したが、その中心にいたのが中村奨成でもあり、本章にて取り上げるキャプテンの岩本淳太である。その岩本は甲子園のレギュラー選手となったが、実際のスタメンには出ていなかった。もっと言うと1年・2年の時は怪我が続き、レギュラー外での毎日を送り続けていた。そのレギュラーと補欠との狭間をどう見てきたのかを追っている。
5.「26歳でIT会社社長になった「圧倒的な補欠」」
高校ではレギュラーを張ったものの、大学に進むと補欠が続くような野球人生もある。本章で紹介される人もまた同じような境遇となった。もっとも甲子園で活躍をしていなかったこと、浪人をしていたことによるビハインドが重くのしかかり、最終的にレギュラーは夢のまた夢のものとなった。大学を卒業してから有名企業に就職し、そこからは死ぬ気で働き、そこから会社を設立し、IT会社社長になり得た。全ては補欠になった時がきっかけだった。
6.「伝説の高校野球チームで得たもの」
今となっては休部状態であるPL学園高校野球部は1980年代~2000年代にかけて甲子園で活躍した。特に80年代の活躍はすさまじく、その活躍をして「伝説の高校野球チーム」ともなり得た存在である。その甲子園で活躍し、マンガ家になった人を取り上げている。
7.「東京六大学初の女性主務が見た「補欠の力」」
本章ではレギュラーではなく、主務として縁の下を支えてきたある女性を取り上げている。その女性は大学野球のマネージャーで女性として初めて「主務」という立場で支えることになった。そのエピソードを綴っている。
8.「「奇跡のバックホーム」を運だ師弟の絆」
「甲子園には魔物がいる」という人もいれば、「甲子園には奇跡がある」という人もいる。中でも本章では後者にあたるかもしれない。在りし日の甲子園をしている方はよく知っている「奇跡のバックホーム」である。1996年夏の甲子園決勝、松山商対熊本工業の延長10回裏に起こったことである。その時にバックホームを放ったのが本章で取り上げる矢野勝嗣である。そのエピソードとその後を取り上げている。
野球には数多くのドラマがあり、そのドラマは野球を超えて、人生の血肉となっている。それはどのような活躍であれ変わりない。その姿を本書にて映し出している。
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