あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン

「法哲学」と言う言葉をあまり聞き慣れない方も多いかもしれない。法哲学とは、

「法に関して、その制定および運用や様ざまな人の法観念・法感覚、また、法現象とよばれる社会現象等に視点をあてて、哲学的に、平たく言えば、既存の諸概念にとらわれることなく考察する学問分野である」Wikipediaより)

とある。法律などの概念や感覚などを哲学的に考察するため法律の範疇に入るのか、それとも哲学の範疇に入るのかは不明の学問とも言える。また法哲学自体は論者によっても主張が大きく変わってくるため見解の相違がかなり大きい。その一方で法律学の面でも危険な部分があると指摘している。

第1章「社会が壊れるのは法律のせい?–法化の功罪」
社会の秩序自体が法律によって成り立っていると言われている。しかしながら、法律自体が社会を壊している要因もあるのだという。そもそも法律についても国の法律ばかりではなく、地方公共団体における「条例」もまた社会構造を崩す要因となるようなものもあると指摘している。

第2章「クローン人間の作製はNG?—自然法論 vs. 法実証主義」
法律をいかにしてつくられるのか、そこにはそもそも法律のできかたによって変わってくる。本章に出てくるクローン人間についても多岐にわたる学問において議論が成されてきたのだが、それぞれの主張が平行線であることしか分からない。本章ではその中でも自然法と法実証の2つの対立を紐解いている。

第3章「高額所得は才能と努力のおかげ?–正義をめぐる問い」
本章はどちらかというと法律よりも、むしろ経済思想の対立と言った所に入ってくるように思える。しかしながら本書は法哲学。所得における貧富の差、さらには正義とは何かについてをジョン・ロールズとロバート・ロージックをはじめとした論者の対立をもとに取り上げている。

第4章「悪法に逆らうワルにあれ!–遵法義務」
本章は「法律の守る」ことの哲学的な意味を成している。もちろん法律であること、中には法律違反をするとなると逮捕され、懲役刑などの刑罰を受けるといった事もある。とはいえど、法律は遵守する必要があるのか、という疑問を紐解いているのが本章である。ただし積極的に違反しろと言うのではなく、違反を通して正義を貫くか、法を守り通して死ぬかと言うような議論を言っている。

第5章「年頃の子に自由に避妊させよう――法と道徳」
避妊をはじめとした性教育について、日本はあまり浸透しているとは言えない状況にある。そのため緊急事態宣言の中で「STAY HOME」が掲げられ、中高生の妊娠相談が増えたというニュースがあった。もっとも性教育は法律的には合うとでは無いのだが、世間の目は冷たく、アウトと言わんばかりの空気を醸している。

第6章「大勢の幸せのために、あなたが犠牲になってください――功利主義」
法哲学において色々出てくるのが「●●主義」といったものがある。中でも特に出てくるのが「功利主義」である。何かというと、

「1.広義では、功利を一切の価値の原理と考える説。
 2.ベンサム・J.S.ミルらを代表とする倫理・政治学説。快楽の増大と苦痛の減少を道徳の基礎とし、「最大多数の最大幸福」を原理として社会の幸福と個人の幸福との調和を企図した。ベンサムとミルは共に快楽主義に立脚するが、幸福についての考え方が異なる。功利説。実利主義。」「広辞苑 第七版」より)

とある。功利主義というと法律でもよく使われるのだが、そこには恐ろしい側面があるのだという。

第7章「人類がエゾシカのように駆逐される日――権利そして人権」
人権というと、人としての権利を尊重するというものであり、日本国憲法においても「基本的人権の尊重」をうたっている。しかしその「権利」や「人権」は解釈によって人間そのものが間引かれるきっかけにもなるのだという。

第8章「私の命、売れますか?–どこまでが「私の所有物」か」
よくあるヤミ金のマンガにて出てくるのが、腎臓を売るなどの臓器売買を促すようなシーンを思い浮かぶ。そもそも身体は誰のものなのかというのは哲学的な範疇に入るのだが、日本においては自由意志での臓器売買は禁じられている。その禁じられているところに倫理的な観点が入ってくるのだが、法律的に、逆に倫理的に「私」における所有物はどこにあるのかを論じている。

第9章「国家がなくても社会は回る――アナルコ・キャピタリズムという思想」
タイトルを見るとある種のアナーキズムを思い出させる。本章では国家はどのようにしてつくられたというよりも、そもそも「国家」は必要なのかの疑問符を唱えている。

第10章「不平等の根絶は永遠に終わらない――どこまで平等を実現できるか/するべきか」
人間自体が動物である以上、完全な平等は不可能である。そのため不平等の根絶は永遠に終わらないことは正しい。とはいえ、どこまで平等が実現できるかとなると、話は変わってくる。

第11章「私には「誰かに食べられる自由」がある?–人はどこまで自由になれるか」
法律の中には様々な「自由」がある。しかしいくら「自由」と言っても、「食べられる自由」は無いのではないかと考えてしまうが、根本的な「自由」がどの範囲まで担保されているのか之議論を行う際に必要な事なのかもしれない。

法哲学は法律と哲学の両輪にあるため、なかなか考察を行うことは難しい。しかし本書はアニメや漫画のみならず、実際にあった実例も用いて紐解いているため、難しさの中に面白さを見出すことができる一冊と言える。

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