大阪万博の戦後史―EXPO’70から2025年万博へ

先の話になるのだが、2025年に大阪万博が開催される。かつては1970年に開催されたのだが、55年の時を経て再び開催されるのだから、機運は高まるはずであった。しかし開催されだしたときはムードは高まっていったのだが、新型コロナウイルスや東京オリンピックなどにより、沈静化している印象がある。

また万博のロゴも発表され賛否両論があり、特にムックは「あれっ?わたくしかな?」とツイートしたことはあまりにも有名である。

それはさておき、元々最初の大阪万博が開催されたのは1970年だったが、その万博の開催が決定するまでの間、決定してから、そして開催してからはどのような歴史を辿っていったのか、本書は「戦後史」としての大阪万博を取り上げている。

第一章「戦災から復興への昭和二〇年代――大阪万博前史1一九四五~一九五四年」

大東亜戦争末期には各地で大空襲があった。東京でもあったのだが、大阪でも1945年3月13日から8月14日までの間で8回空襲があり10000人以上の命が奪われ、街も焼け野原となった。終戦後はGHQの統治を経て、復興へと進めていったのだが、その矢先ジェーン台風に見舞われた。

第二章「都市改造が進む昭和三〇年代――大阪万博前史2一九五五~一九六四年」

それでもめげず、復興へと歩を進め、さらには高度経済成長も相まって、復興と開発が急速に進んだ。そしてその復興の象徴の一つとして生まれたプロジェクトが万国博覧会だった。

第三章「大阪万博とは何だったのか――一九七〇年の記録と記憶」

1970年に大阪万博が開催されたが、開催自体決定したのが1965年、最初の東京ロインピックが開催された年の翌年である。高度経済成長で急速に成長し、世界第2位の経済大国を象徴付ける博覧会として「人間の進歩と調和」をテーマとして開催することとなった。1970年の3月14日~9月13日までの半年間で、実に6400万人もの人が足を運び、大成功を収めた。

第四章「継承される万博のレガシー――万博後の大阪イベント史◇一九七一年~」

開催後はエキスポランド・エキスポシティなど、娯楽施設がつくられ、さらには大阪万博が開かれたことを印象付けるモニュメントを残すと言った動きもあり、今もなお、大阪万博の名残はまだある。

55年の時を経て再び開催される大阪万博。正確には「大阪・関西万博」とも呼ばれる。テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」としているが、どのような万博になるのか、あと4年あるが、期待したいと思う。