ナショナリズムを陶冶する ドイツから日本への問い

政治思想は「~イズム」などの用語が多数ある。特に言われているのが「ナショナリズム」であるのだが、ようは「民族主義」や「国家主義」と呼ばれており、自国を中心とした考え方を表している。よくニュースの政治思想でも、直接「ナショナリズム」を出すようなことはそれほどないものの、それに近いニュアンスで出されることも度々ある。

ではナショナリズムはどうやって「陶冶(とうや、才能・技術をつくり上げていく)」していったのか、本書はドイツのあらゆる場所に赴き、ドイツにおけるナショナリズムの情勢を見て、日本はどうすべきかを示している。

第1章「ニュルンベルク プロパガンダを刻む古都」

なぜドイツなのかと言うと、第二次世界大戦前後にてナチスが席捲した時代であった。そのトップがアドルフ・ヒトラーであり、ヒトラー率いるナチス独裁政治だった。その独裁政治としてプロパガンダを築いており、ニュルンベルクを第三帝国の拠点としていた所がある。皮肉にもドイツ敗戦後はそこで戦争犯罪を裁く裁判が行われた。

第2章「ダッハウ 強制収容所跡を歩く」

ニュルンベルクから南へ行くとミュンヘンがあり、その近郊にダッハウという街がある、ナチス独裁政治の象徴の一つである強制収容所があり、そこではユダヤ人たちが強制労働させられた所でも知られている(実際にそうなったのは第二次世界大戦に入ってからのことである)。

また第二次世界大戦末期になると、ドイツ軍の敗戦が色濃くなり、なおかつダッハウも連合国の手に落ちた。しかしここでもアメリカ軍によるドイツ人の虐殺の場として使われた。

第3章「ベルリン 再統一から30年、現代史凝縮の地」

ベルリンは冷戦終結まで「歴史」にさらされ続けた。ナチスドイツでは中心都市となり、1936年にはベルリンオリンピック(ヒトラーのオリンピック)が開催され、ヒトラーが構想を持っていた「世界首都ゲルマニア」の中心地としても扱われた。戦後も冷戦の象徴である「ベルリンの壁」でドイツは西・東とで分断され、冷戦末期に崩壊した。その歴史が凝縮されたベルリンでは、どのような跡が残っていたのかを追っている。

第4章「フランクフルト 抵抗を学ぶ教育現場」

本章ではフランクフルトにある教育現場を取り上げている。そこではナチスドイツがやって来たことを取り上げつつ、自分がどうしたら繰り返されないか、と言ったことを考える授業が行われていた。

第5章「ブラウンシュバイク 戦後の和解支えた国際教科書」

ドイツではナチスの悲劇を繰り返さないように、歴史教科書でも、ナチスドイツに言及しなおかつ、東西ドイツの分裂などを記している。戦後ドイツの「和解」が歴史教科書の教育にて反映しているという。

第6章「ブッヘンバルトとワイマール ホロコーストと市民」

歴史的な「遺産」は数多くあるのだが、中には「負の遺産」も存在する。本章で取り上げられている負の遺産はタイトルにもあるように「ホロコースト」であり、どのようにして伝えられていったか、ブッヘンバルトの強制収容所跡を取り上げている。またナチスドイツ以前に、歴史的な場所として「ワイマール憲法」「ワイマール共和国」がつくられた場所も取り上げている。

第7章「再びフランクフルト 指導者の決意表明」

歴史教育はナショナリズムにも通ずるものがあり、どのような歴史を辿ったのかを知ることにより、これからの国を考える糧にもなる。その糧をいかにして作っていくのか、日本として何をすべきかを提示している。

ナショナリズムと歴史はけっこう直結している。というのは日本では「歴史認識問題」が長らく話題となっており、隣国の認識問題が、外交にも影響を及ぼしているほどである。また政治思想の面においても歴史認識の差によって対立がある。ではドイツはどうなのかという参考になる一冊と言えるのだが、それを使うかどうかについては政治家や識者次第と言うほかない。