大岡信 架橋する詩人

日本を代表する詩人、大岡信(おおおかまこと)が逝去してからもう4年経つ。詩集などで数多く活躍しているだけでなく、合唱曲の作詞も手がけてきたため、音楽を行ってきた私自身としては「作詞:大岡信」というイメージが強く残っている。とりわけ印象に残った合唱曲として大岡信が作詞で手がけたものというと合唱組曲「方舟」がある。

さて、大岡信によってつくられた「詩」と人生はどのようなものだったのか、本書はそのことについて取り上げている。

第1章「霊感と批評――『記憶と現在』、『現代詩試論』、詩誌『櫂』」

大岡は1931年静岡県三島町(現:三島市)にて生まれ、小学校から旧制第一高校、そして東京大学へと進学していった。その学生時代の中で詩を作り始めたのだが、時期としては戦後間もない1946年頃からと言われている。またその学生時代において、文芸機関誌の編集長も務めた。また詩壇にて当時の第一人者であった鮎川信夫らの批判も行い、激しい論戦を繰り広げた。

第2章「越境、また越境――シュルレアリスム研究会、南画廊、パリ」

大岡は詩の世界を超えて、美術など他の世界にも進出するようになった。いわゆる「越境」である。その越境を行っていく中で、大岡は何を残してきたのかを取り上げている。

第3章「前衛へのスタンス――SAC、『蕩児の家系』、『肉眼の思想』」

1960年代になると60年安保をはじめ、社会的な運動が広がりを見せるなど、激動の時代となった。この時代には小説を始め様々な分野にて前衛的な作品が次々と世に出てきた。詩の世界もその例外でなく、大岡信を中心に前衛的な詩を次々と発表した。

第4章「「唱和」のよろこび――『紀貫之』、『うたげと孤心』、『春 少女に』」

70年代に入ってくると、唱和・連詩といった分野にも進出していった。他にも古典の詩に対しての評価・批評も積極的に行っていった時代でもあった。

第5章「詞華集の富と焦燥――『折々のうた』、『詩人・菅原道真』、田村隆一追悼詩」

86年の生涯の中でつくられた詩は数多くあり、その編さんも行った。また詩や短歌などの批評も行った。その批評の代表格としてあげられるのが本書が出版されている岩波新書であった「折々のうた」だった。

詩の発表や批評、さらには美術、音楽と多くの世界を越境しながら、独自の詩の世界を築いていき、日本における詩壇に多大なる影響を与えた存在となった。その大岡信の功績は筆舌に尽くしがたいものである。