私は夕暮れ時に死ぬと決めている

世の中そう都合よく死ねるわけがねえ

本書のタイトルを初めて観たときにそう思った。もっともこの言葉は私が発したものではなく、五代目古今亭志ん生三代目桂三木助に対して放った言葉である。三木助が最晩年にいよいよお別れと思って、志ん生を含め多くの人を集めて分かれようとしたのだが、死なず「どうも今日はだめだな」と三木助は怒り、集めた人を帰した。その時に志ん生が発したものである。

突然死ぬこともあれば、自分自身の思い描いている死に直面できる人もいれば、そう決めている死に対してうまく行かない人もいる。しかし「もしも自分が死ぬのであれば」と言うことで決めておく事もまた終活の一つとして挙げられる。

本書は残りわずかな人生の中で、どのような生き方・終活を求めていけば良いか、エッセイにて綴っている。

第一章「遺書の効用―自分の死を想像すれば、大切なものが見えてくる」

「遺書」は死ぬ寸前に書かれることが多いイメージがある。しかしながら死ぬ準備として、終活の一環として今から書くことも一つの手段であり、なおかつ相続に関しても有効な手段ともなり得る。具体的になると法律や公証人などにも言及するためここでは割愛するのだが、自身の死ぬ前後の指針として「遺言」がある。その遺言をもとにしてどのように葬送してほしいか、さらには老いや死に対してどのように迎えるのかを本章にて綴っている。

第二章「年齢を超えるヒント―行動すれば運命は変わる」

著者はアナウンサーからキャリアをスタートし、現在ではマルチに活躍をしている。その中で年齢を超えて、マルチに活躍できるヒントにどのようなものがあるのかを本章にて取り上げている。

第三章「自分流の個性を楽しむ―まずは五感を磨くことから」

「個性」を見つけたいと言う人も多いのだが、実際に「個性」は自然にできるものである。それは様々な体験や経験などを通して育まれていくものである。その「個性」をいかにしてつくっていき、楽しんでいくかを取り上げている。

第四章「心地良い暮らし―ほんとうに自分の好きなものだけで暮らす」

暮らしの中でどのような所にて「心地良い」と感じるのだろうか。住宅や消費、さらには整理や趣味、仕事などの日常の中で出てくる「心地良い」もの、逆に不快なものなどを列挙している。

第五章「孤独と友人―いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修業」

人の行動や考え方によって友人の輪が増えることもあれば、逆に減ってしまい、独りぼっちになることもある。そのなかで孤独でいること、逆に友達がいることのメリットとなどについて取り上げているのが本章である。

人はいつか死ぬ。その死に向けて必死に生きるが、その「死」の瞬間は突然訪れるのかも知れないし、まただんだんと年老いていく中でゆっくりと訪れるのかも知れない。その死に向けてどう生きるかといった事は人それぞれ考えるべきものだが、その参考として本書のようなエッセイも一つの材料となる。