運命を拓く×心を磨く中村天風

去る8月24日、京セラ、第二電電(現:KDDI)の創業者で、日本航空(JAL)の再建に大きく貢献した稲盛和夫氏が逝去した。ちょうど卒寿にあたる90歳だった。経営生き方にまつわる本を多数出版し、なおかつ経営の世界でも活躍され、日本経済にも多大な影響を及ぼした。

その稲盛氏が影響を受けた人物の一人に本書で紹介する中村天風がいる。仕事や人生における考え方基礎を築いた中で中村天風の名言を引き合いに出すこともしばしばあった。ちなみに中村天風が影響を与えた人物は稲盛氏だけでなく、松下幸之助氏など多くの経営者にも影響を与えた。その中村天風の生涯と名言・格言の数々を本書にて取り上げる。

第一章「天性の魅力」

中村天風は1876年東京府豊島郡王子村(現在の東京都北区王子)に生まれ、中学の時に福岡へ移った。少年時代の頃から「悪ガキ」として知られており、粗暴な行動も多かったという。福岡でも粗暴さは変わらなかったものの勉学に励み、後に玄洋社に入り、頭山満の下に預けられた。気性の荒さから「玄洋社の豹」とも呼ばれたという。その頭山との邂逅により、天風の生き方・魅力を見いだしていった。

第二章「死病との闘い」

天風は思想家や実業家としての顔もあったと同時に「ヨガ行者」でもあった。ヨガ行者となったきっかけとして、当時は「死病」だった肺結核を患った。1909年のことである。死病との闘いの中で肺結核であるにも関わらず、「密航」という形でアメリカ・コロンビア・ヨーロッパへと渡り歩くも納得の行く答えが得られなかった。

そして帰国途中のインドにてカリアッパ師と出会う。そもそもカリアッパ師はヨガの「聖人」と目されており、天風はそのカリアッパ師に弟子入りし、ヨガの修行に励んだ。この修行で肺結核は治癒し、同時にヨガを通して「悟り」を拓いた。

第三章「身体と心の関係」

第二章における肺結核との闘いのなかでカリアッパ師と出会い、ヨガの修行に励んだ。その中で肺結核を治癒し、悟りを開いたなかで身体と心の関係の「解」を見いだした。その「解」を本章にて明かしている。「病は気から」と言う言葉があるのだが、その論拠がこれでもかというほど証明付けられている。

第四章「人生を定める想い」

「言葉」は不思議なものである。論理的な組み立てて説得力が強くなるかというと、そうでなく、伝わらないこともある。逆にたった一言だけ伝えただけで、腹落ちする(合点がいく)ようなこともある。

また「言霊」と言う言葉があるように、発したり、記載した言葉がその通りに動いてしまうこともある。

第五章「天風となった日」

元々中村天風の本名は「中村三郎」である。なぜ「天風」なのかというと、天風自身が6歳の時から剣術随変流の修行を始め、極めた後に、随変流抜刀術の型から雅号として名乗り始めた。天風の影響力は存命の時もさることながら、1968年に没してからも常に影響を与え続けている。

第六章「天風哲学の真髄」

中村天風の哲学は

私というのは誰か、何なのかp.190より

の言葉から始まる。ヨガの修行を含めた多くの体験から悟りを開き、さらには人生・ビジネスに至るまでの多くの名言を残した。

第七章「積極的人生の展開」

最後は「積極的人生」である。人生の過ごし方は人それぞれであるが、事をなすために、何かしら「積極的」になる必要がある。どのように「積極的」であるべきかを本章にて説いている。

自己啓発書を読む人、あるいは名言を探し求める人であれば、中村天風という名を聞く。かくいう私も何度も中村天風の言葉を見聞きし、仕事においても、人生においても糧としてきた。しかし全部が全部糧にできたかというと決してそうではない。学び切れていない部分も多々ある。また中村天風の言葉は知っていても、人生、さらには天風自身が悟り、学び、気づいたことなどを細かく知っているわけではない。本書は名言や法則のみならず、天風の人生も知ることができる良い一冊であった。

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