「歴史」は人類はもとより、森羅万象が長らく進化を続けてきた足跡である。しかしその「足跡」の中には失われたもの、都合良く解釈されたものまであり、その認識を巡ってのいざこざもある。日本でもある「歴史認識問題」もその一つである。
また「歴史」と言っても日本・世界といった場所の歴史はもちろんのこと、古代史・中世史・近現代史など時代によっての大小も異なってくる。本書はその歴史の構築・解釈、そしてメディアとの関わりについて取り上げている。
第一章「歴史の構築」
そもそも歴史は「事実」に基づいて構築されているかというと、近現代史は多少怪しい所はあれど、事実に基づいている。しかし「古代史」になってくると、史跡や石像などを解析しながらとなるため、なかなか「史実」なのかどうかの議論が白熱化し、「諸説」といったものも出てくる。そのような中で魔女裁判や革命記念日を引き合いにどのように「歴史」はつくり上げられるのかについて考察を行っている。
第二章「理論的な問題」
第一章で述べている「歴史は事実に基づく」とあるが、実はこの歴史自体の構築の仕方もある種ストーリーとして構築されている。ストーリーとなるとどこかしら「フィクション」が入り込むようなイメージが持たれるが、実際にフィクションは「機能」として使われることがある。他にも「解釈」の話になってくるのだが、歴史的な史実をどこの側から見ていくかによって、解釈も大きく変わっていく。
第三章「歴史のあり方」
そもそも「歴史」の定義・あり方はどうなっているのか。所によってはプロパガンダとして利用する、足跡を知る、反省の材料とするなどがある。もっとも国や地域などの歴史はもちろんのこと、「歴史」自体は当ブログを読んでいるあなたにもある。ヒューマンヒストリーや、家族のファミリーヒストリーなどが挙げられる。
第四章「メディアと歴史」
その「歴史」を伝える手段としては書籍をはじめとした「メディア」もある。そのメディアも歴史の伝え方によって、それぞれの解釈によって、歪曲されることも少なくない。またメディアは新聞・雑誌・書籍のみならず、映画・マンガ・小説・ドラマなどフィクションが入りやすい部分も入ってくる。特に「歴史物」として歴史的な史実をもとにしてフィクションを織り交ぜ、一種の「娯楽」として面白くすると言う役割も担っている。
本書は日本や世界の歴史における解釈と言うよりも、そもそも「『歴史』とは何か?」を根底の部分から考察を行っている。当ブログでも様々な「歴史」を取り上げてきたのだが、根幹の部分を知るには格好の一冊だった。
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