戦時演芸慰問団「わらわし隊」の記録―芸人たちが見た日中戦争

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戦時演芸慰問団「わらわし隊」の記録―芸人たちが見た日中戦争 戦時演芸慰問団「わらわし隊」の記録―芸人たちが見た日中戦争
早坂 隆

中央公論新社  2008-07
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今、航空自衛隊の幕僚長による論文問題により歴史認識問題が揺れている。私自身も東京裁判等を通じて数々の戦争に関する文献を取り上げてきた。戦争にまつわる歴史認識は韓国や中国の顔色を伺ってばかりいるが、果たしてその歴史が日本人にとって誇りに思えるのか。そして東亜の平和のために勇猛果敢に戦ってきた人たちに失礼ではないだろうかと考えさえもする。しかし今回は戦争の中で兵隊たちにひとつのオアシスを与えた「わらわし隊」にスポットを当てている。
時は日中戦争の時代であり、そのときに笑いを提供するために中国にわたり南京陥落の後にもわらわし隊は南京に行ったという。そのことから考えると暗黒化している南京大虐殺論争に新たな重要文献として上がることは間違いないだろう。
第1章「わらわし隊、中国へ」
漫才や落語による演芸により慰問を行うことを目的とした「わらわし隊」。これを提案したのは朝日新聞であり、その動きに協力したのは吉本興業であった。「わらわし隊」に連なるメンバーの中で「エンタツ・アチャコ」や「ミスワカナ」がいたことからして明白であろう。ではなぜ「わらわし隊」となったのかというのも興味深く日本軍の航空隊が「荒鷲隊」と呼称されたのと「笑わしたい」というのとをもじって作られたものである。そして彼らは日本で蓄えた芸人魂と笑いを中国で戦っている兵士に与える使命感を持っていったと考えると、戦前の日本人の強さというのが窺える。
第2章「エンタツ・アチャコと柳家金語楼」
さて「エンタツ・アチャコ」が出てきたが「エンタツ・アチャコ」は昭和初期において、そして吉本の歴史の初期においても欠かすことのできない漫才コンビである。ちなみにこの「わらわし隊」ができた当時は「エンタツ・アチャコ」はコンビとして解散しており(昭和9年に解散)そのときはエンタツ・アチャコはそれぞれ別の相方と組んで漫才をやったという。そしてもう一人「柳家金語楼」であるが「禿頭の金語楼」といわれ一世を風靡した噺家(「落語家」と同意であるが、当ブログでは「噺家」で統一する)として有名である。
第3章「柳家金語楼一行の足跡」
ここで取り上げなければいけないのはいまや歴史の闇に埋もれようとしている「通州事件(「通州虐殺」とも言う)」について取り上げられている。中国の通州において保安隊による日本人への攻撃があり、通州において380人いた日本人のうち264人が殺された事件である。この事件により日本国内の世論は激昂し、開戦論を叫ぶ声がいっそう強くなっていた。これについて取り上げる文献が少なくなった今、雲散霧消になる前に取り上げたという本書の価値は非常に高い。
第4章「わらわし隊の見た上海・南京」
ここで特に取り上げるのは松井石根陸軍大将である。このわらわし隊が南京講演を行うにあたり松井石根大将が見に来るといい非常に緊張した中で行われたが講演後、対象が南京に来て始めて笑ったということが兵士たちに伝わったという。松井大将は根っからの潔癖症であり、南京にまつわる報道が熾烈を極めているときに軍の風紀を他の軍以上に厳しく正したことでも有名である。それが南京大虐殺における妙な誤解となろうとは…松井大将自身も思わなかったのだろう。南京での慰問講演は昭和13年1月末に行われた。ちなみに南京大虐殺論争における期間もその中に入っている(笠原十九司氏の見解による)。実際何近代虐殺は私自身もまったくなかったと言い切れない。その証拠に当時陸軍大臣であった畑俊六陸軍元帥がこの事件を受け松井石根大将を更迭したということがあげられる。これについての論争はすでに泥仕合の様相を見せており史料も本物と偽者がまぜこぜになっている中でどのように真実が見出せるのかわからなくなっている。さらに中国ではこれを外交カードに使っていることからこれによる全容の解明は限りなく不可能に近い。
そしてもう一つ取り上げなければいけないものがある。
昭和46年、愛知にある「殉国七霊廟」にある「七士之碑」が左翼学生らが「軍国主義の象徴」として爆破した事件がおきた。昭和46年といえば60年安保がようやくほとぼりから覚めたころである。とはいえ左翼学生ははびこっており、非戦反戦を掲げては軍国主義のものを破壊するようなこともやっていたということを忘れてはならない。右翼団体の人が広島の石碑を破壊した事件があったがそれとまったく変わらないのである。左翼がやったからいいとか、右翼がやったからいいとかという話にはならない。後半の構成は以下のとおりである。
第5章「戦場にある笑顔と涙」。
第6章「深まる戦火」
第7章「漫才「わらわし隊」」
第8章「笑顔で死んでくれ」
最終章「ミスワカナの死」
本書に出会うまで「わらわし隊」についてまったく知らなかった。日中戦争をはじめ戦中の歴史認識は激しく揺らいでいるがこういう人たちの証言というのも非常に重要である。中でも南京大虐殺に関して一石を投じる文献になるだろう。そして現在の朝日新聞はこの歴史を暗黒化させることに尽力をしているようだが上記の「わらわし隊」を計画した経緯について説明する責任はある。当時のやっている人のことだから知らないとかという責任にはまずならないので納得のいく説明をしてほしい。
最後にニーチェの言葉が書かれていた(p.347より)。
「人間のみがこの世で苦しんでいるので、笑いを発明せざるを得なかった」
戦争に赴いた兵士たちはこの「わらわし隊」の芸を見て心の底から笑ったのであろう。彼らはその戦地に赴いて荒んだ大地の中で生きる一輪の花となった。その花は強く微笑ましげに咲いたことだろう。

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