夏がくれば思い出す―評伝 中田喜直


夏がくれば思い出す―評伝 中田喜直 夏がくれば思い出す―評伝 中田喜直
牛山 剛

新潮社  2009-04
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春が過ぎ、もうすぐ梅雨の時期が始まる。その梅雨の時期が過ぎれば厳しい夏である。
夏というと子供たちは少し長い夏休みである。
本書のタイトルに覚えがあるだろうか。誰もが一度は口ずさんだ歌詞。
そう、「夏の思い出」である。
この作曲者はというと中田喜直。数多くの歌を作曲した作曲家である。特に合唱に携わった人であれば何度もこの方の曲を歌っただろう。この方を名を知らなくても「ちいさい秋見つけた」や「めだかの学校」、「手をたたきましょう」という曲なら知っている。
本書はこれら数多くの歌を作曲した中田喜直の評伝である。彼が亡くなって、来年で10年となる節目に本書は出版された。

第一章「若き日」
第二章「中田喜直の戦争」
中田喜直が生まれたのは1923年の時、ちょうどこの年の秋には「関東大震災」というのが起こり、同月には甘粕事件というのが起こった時である。中田は幼い時からオルガンを学ぶなど音楽に携わった。その一方で正義感が強く、間違ったことを嫌った。特に間違ったことには口を出さずにはいられなかったせいか、嫌悪な関係になった先生もいるという。
その正義感の強い性格は、のちのタバコにも影響を及ぼしていると言っていい。
時がたち大東亜戦争になり、中田は自ら志願して飛行学校に入った。ちょうど敗戦の色濃くなった時代であり、特攻隊に入るのかと思ったら、事務所においてそうではないと言われたという。中田自身の思想のほとんどが定まったと言える時であった。

第三章「作曲家・中田喜直」
第四章「中田喜直と童謡」
第五章「フェリス女学院と中田喜直」
第六章「日本童謡協会」
戦争が終わり、また音楽家として数々の曲を作曲した。昭和20年ごろには童謡も手掛けており、売れっ子作曲家として邁進していった。それと同時にフェリス女学院で教鞭をとったという。中田は女声合唱曲も多く残しているが、ここでの教員生活が大きく影響していたと著者は見ている。

第七章「中田喜直とタバコ」
中田喜直と言えば嫌煙家として有名で、とりわけ「嫌煙権運動」を積極的に行ったことで知られている。今となっては首都圏の駅では全面禁煙が実施されており、ある種の「禁煙ファシズム」の様相を見せているが、当時(60〜70年代)は仕事場でも、会議室でも平気で喫煙できたという時代であった。嫌煙家にとっては迷惑極まりないような時代ではあったのだろう。中田はそれが許せなくなり、そういった運動に入ったのだろう。
しかし、もしも今この時代に彼が生きていたのなら、この「禁煙ファシズム」の風潮をどう思っていたのだろうか。容易に想像がつくかもしれないが…。

第八章「小さい鍵盤のピアノを」
第九章「中田喜直と合唱」
私自身、吹奏楽部の一環で合唱をしたことがあったと言ったが、それと同時に高校では毎年「合唱コンクール」というのがあった。その中でも中田喜直の曲は印象に残った。ほかのクラスであったが、「よみがえる光」という曲を合唱していたクラスがあった。私の高校は商業高校であり女性の比率が非常に高く、女性だけのクラスというのは1・2クラスあったほどである。男である私でも女声合唱を聴く機会ができたのはある意味で刺激的であった。ちなみにこの「よみがえる光」は「女声合唱組曲『蝶』」の最後の曲に収録されている。

第十章「中田喜直とスポーツ」
第十一章「二つの遺作」
中田喜直の合唱曲で印象に残っている曲がもう一つある。「雪の降る街を」である。
この曲は山形県鶴岡市が舞台となっているのだが、同時に旭川市でも毎年のように流れる曲として有名である。
私も初めて知ったのだが、中田喜直はよく旭川に行くことが多く、演奏会だけではなくスキーも楽しんだという(ちなみに山形に行っても苗場に行きスキーを愉しんだそうだ)。その縁によって「旭川が舞台としてつくられた」と言える。

私が音楽から離れてからもう1年経つ。合唱などの音楽が好きだった時に戻してくれた、そんな気がした1冊であった。動画サイトで中田喜直の曲は聞くことができるのでこれを聞きながら読むとまた格別である。

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