授業の出前、いらんかね。

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教育を受ける場というと「学校」などの施設で行うというイメージがある。しかし、不治の病や先天性障害など様々な原因により、満足に教育を受けることができない子どもたちもいる。
そのような子どもたちのために「特別支援教育」が挙げられるのだが、さらにその中には本書で紹介する「出前授業」、「訪問教育」といったものがある。
あまり知られていないのだが、満足に教育を受けられない方々のための「救いの手」となる出前教育の定義と歴史、そして現在について本書で紹介している。

第一章「病院訪問教育とはどんなものか」
小さい頃から病床に伏せながらも生き続ける子どもたちがいる。その子どもたちのために出前授業として「病院訪問教育」が行われる。
子どもたちは病床に伏していても先生とふれあうことによって、色々な事を教えてくれる・勉強できる、もしくは自分自身のことを聞いてくれるといった期待や希望もあり、子どもたちにとってはかけがえのない存在である。しかし不治の病や障害を負っている子どもたちの中には自分自身の「死」に直面している人もいる。中には命を失う子どももおり、先生の立場としても「教え子の死」というショックと向き合わなければいけない時もある。
また、病院の中には「院内学級」と義務教育を病院の中で教育を受ける機関が存在しているのだが、学級の数も少なく、都道府県によっては小学校、あるいは中学校の片方が存在しない、あるいは両方存在しない、というところもある。

第二章「病弱教育の歴史」
「病弱教育」は、教育業界の用語として、病気や事故、先天的な障害などの原因により、長らく入院している子どもたちのための教育機関である。第一章の「院内学級」が、この「病弱教育」にあたる。
病弱教育そのものの歴史は、日本における近代教育の歴史の長さと大差なく、1889年に三重県の師範学校で行われたのが始まりであった。ただし、この時は脚気による転地治療を行いながら教育を受けると言うだけのものであり、かつ病弱教育そのものの教育整備も行われていなかった。具体的に法整備・施行されたのは1979年になってからのことである。

第三章「出前教師の営業活動」
「出前教師」を行うにも営業活動が必要だと言うことについて、本書を読んで初めて知った。というのは、出前授業そのものは病院、もしくは教育委員会などの教育機関からの斡旋をもって行うモノだと思っていたからである。
では、教師達はどのようにして「出前授業」を得るための営業活動を行うのだろうか。それは院内学級のない病院に対し、入院している子どもたちのために出前教育の相談やビラ配りを行うという地道なものだった。

第四章「教師にできること、できないこと」
出前教師ができたとしても、様々な「困難」が存在する。院内学級であれば、教育を行える場所があるのだが、出前授業になると、病室が教育を行う場所になる。病室は子どもばかりでは無く、様々な人がおり、「周りに気遣う」といったこともある。逆に勉強が嫌いな子どもなど個人差があるため、個人に合わせた教育ができる様になる、いわゆる個別教育やカウンセリングのようなこともできる。

第五章「仲間たち」
出前教師を行う方、あるいは院内学級で教鞭をとる方のコミュニティが存在する。その方々は教育そのもののあり方を話すばかりでは無く、ロックバンドのようなレクリエーション活動も行っているのだという。
そしてもう一つ、出前教師を行う方々と、学校側の意識の隔たりの片鱗も触れられていた。今の教育そのものの隔たりを見たような気がする。

自分自身「出前授業」や「訪問教育」のことについてあまり知らなかった。教育の中ではあまり出てこない話であるが、教育基本法上の「義務教育」の中で欠かせないものであるという重要なものではなく、むしろ満足に教育を受けられない子どもたちにとっての「救い」があるからでこそ「重要」な存在であり、出前教育の現状が浮き彫りになった、と言える画期的な一冊であった。

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