「勤労青年」の教養文化史

「勤労青年」と言う言葉はどのような存在なのかというと、戦後間もない時に、様々な理由から大学に進学せずに、集団就職で社会に出て働く青年たちのことを表している。その勤労青年たちは、東京へ上京することの憧れもあれば、大学における「教養」としての憧れも存在していたのだという。その「憧れ」と文化の変遷はどのようになったのか、本書は勤労青年における教養そのものがどのように根付き、発展して行ったのかについて取り上げている。

第1章「敗戦と農村の教養共同体―青年団と読書の希求」
戦後の敗戦から、経済の復興を行おうとしていたのだが、その行うにあたって農村による閉塞感から絶望し、高校などの学校を出て集団就職のために東京へと渡る若者たちが沢山出てきた。また勤労青年たちは農村の中の閉塞感と、教養への希求もあり、集団就職を通じて読書に興じるといった傾向もあったという。

第2章「上京と「知的なもの」への憧憬―集団就職と定時制」
「上京」について、勤労青年たちはどのような思いを持っていたのか、上京するまでは「憧れ」を持っていたにもかかわらず、いざ上京をすると、「幻滅」という感情を持ってしまい、失望にも似たような感情を持つようにまでなった。また勤労青年の中には働きながら勉強をしたいという思いから、高校の定時制に通う、あるいは大学の二部(もしくは夜間の学部)に通うと言うような人もいたほどである。

第3章「人生雑誌の成立と変容―転覆戦略のメディア」
勤労青年の中で教養を得るためには本や雑誌、新聞などのメディアに触れる必要があった。テレビはと言うと、存在はしたものの戦後間もないころであり、当時は高価で就職したてでは手が出せないほどの代物だった。またメディアの中には一風変わった「人生雑誌」なるものがあった。その「人生雑誌」は教養を得るための貴重なメディアとなっていったのだが、なぜ誕生し、やがて衰退したのか、そのことについて取り上げている。

「勤労青年」と言う言葉はあまり聞き慣れないかもしれない。あったとしても会館などのハコモノの中に名前が記されている所である。しかし大東亜戦争が終焉して間もないころから生まれ、そして日本の高度経済成長を担った存在であることは疑いようがない。ただ勤労青年たちは教養を得るために学校に通う、メディアに触れていた。その足跡が本書にある。