「値段」という概念は、貨幣が出回り始めた紀元前7世紀頃(エレクトロン貨)から、生まれたのだが、物的な価値を計るための「値段」はやがて形の無いサービスとなり、「生き方」そのものにもつけられるようになった。しかし森羅万象に「値段」をつけられるほど安易なものでは無いというのが私の考えである。
しかし、本書のサブタイトルにある「合理的な選択」をする際に、数字で表すことのできる「値段」は参考材料になる。
その「合理的な選択」をするために、形のないものの「値段」をつけるとどうなるのかを紹介している。
第1章「「モノ」の値段」
「モノ」は最も値段をつけやすく、かつ「形のあるもの」である。形のあるものを値段をつけるとなると、原価や人件費などの費用が重なって「価格」となるのだが、高級店になればなるほど雰囲気を味わうという「付加価値」もある。
第2章「「生命」の値段」
「生命」には値段をつけることはできないかもしれないが、「医療費」や「薬」など「生命をつなげる」ために「買うもの」も値段として挙げられる。それだけではなく人が死んだ時に払う葬儀の費用もあれば、相続にかかった相続税もある。
第3章「「幸福」の値段」
「幸福」は人それぞれであるのだが、ものを買っただけでも幸福になるものもあれば、家族の幸せなど形のないものまである。そう考えると形の無く、値段に換算することができないのも、「もの」として考えると、値段に換えることができる。
第4章「「女性」の値段」
まるで「女郎買い」の事を言っているのか疑わしくもあるのだが、女性におけるキャリア形成のための雇用費用、あるいは婚活など結婚までの恋愛に関する費用などが挙げられる。
第5章「「仕事」の値段」
仕事における値段というと「売上」や「利益」など、実態のあるものが挙げられる。その「売上」や「利益」から、従業員層への「給料」へと転換する。そういう意味では、「仕事」に対する値段は存在する。
第6章「「無料」の値段」
「タダより高いものはない」という諺が存在するのだが、無料というと何かと色めき立つような人も、私を含めて存在する。
「無料」というと「0円」というイメージでしか無いのだが、「無料」には無料にしかない「値段」が存在するのだという。
第7章「「文化」の値段」
「文化」というと、文化を育てるにも、維持するのにも時間はつきものである。場合によるかもしれないがお金が必要とする時もある。その文化を広げるための費用もあれば、文化に対する「値段」は存在する。
第8章「「信仰」の値段」
宗教とお金の関係性はあまりイメージできない。
しかし宗教をするにも宗教施設は必要だし、施設があると維持費用が必要である。また宗教を行うとなると「お布施」と呼ばれるものも出てくる。「宗教」における「値段」、さらには「信仰」における値段は存在すると言える。
第9章「「未来」の値段」
本書の中で「値段」との関連性が低いのは本章かもしれない。というのは、未来における「投資」「負債」と言うところで値段はあり得る。例えば保険もあれば、日本で言うところの「赤字国債」も値段は存在する。しかし「未来」はどのように変化するのかわからない、もしかしたら「値段」そのものが存在しなくなる可能性もある、と考えると、一概に関連づけるのは難しいと言える。
森羅万象に「値段」をつけることはできないのだが、おおむねのモノ・コトで値段をつけることができると言う結論になる。合理的な決断をするにもまず「数字」は大きな寄り処になるのだから、「値段」の要素は捨てきれない、と言うことを本書で思い知らされる。
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