テレビは総理を殺したか

テレビをはじめとしたメディアは「権力を監視する」という名分のもと首相などの権力者を批判することが多い。新聞記事にしても社説にしても方向は違えど、いつも批判ばかりで、テレビにしても記者やコメンテーターが好き勝手に報じている印象がある。中には「過熱報道」による「報道被害」を起こしたケースも存在する。

本書は政治報道のあり方として、政治家をたたき、辞めさせることがすべてなのだろうか、本当の意味での「報道」は何なのか、元官邸キャップまでつとめた著者が自らの経験をもとに明らかにしている。

第1章「二項対立の原理」
本章で言う「二項対立」は「自民党vs民主党」ではなく「小沢一郎vsメディア」の構図である。ちょうど本書が出版されたのは2011年、小沢一郎にまつわる疑惑が過熱化していた時と同様である。そのときにメディアと小沢一郎の戦いが行われており、記者会見上で駆け引きも行われていた。

第2章「熱狂のあとで」
「熱狂」は今から14~9年前まであった「小泉旋風」のことである。「ワンフレーズ・ポリティックス」と呼ばれる手法で、国民たちの人気を得ることになり、過去最高の支持率を誇った。その裏には何人もの仕掛け人が存在しているが、果たして誰なのか、記者と総理の距離について取り上げている。

第3章「小泉政治の崩壊」
小泉政権が終焉を迎えたのは2006年9月。ちょうど首相としての任期満了と同時に退任することになった。後任は安倍晋三氏で第一次安倍政権が始まったのと同時に、小泉政治の手法は終わった。しかしなぜ本章のタイトルで「崩壊」と書いたのだろうか。本章を見るに政治手法と言うよりも、首相とメディアの関わり方にたいする「崩壊」と言える。

第4章「迷走する民主党」
民主党の迷走は初めて政権ダッシュする以前から現在まで現在進行形で続いている。しかし「迷走」の本質は時代とともに変容しており、政権奪取前は偽メールに踊らされ、政権奪還後は本章でも紹介されているが、テレビとの対立や小沢事件が挙げられる。そして2012年の下野後は民主党の方向性で迷走を続けている。

首相とメディアとの接し方は首相が変わる度に変化していると言っても過言ではない。しかしメディアは本当に「権力を監視」しているのか、そして政治とどう接したらよいのか、メディア自体も「迷走」しているように思えてならないことについて本書を読んでそう思った。