パール判決を問い直す

まず結論から言うと中島氏は小林よしのり氏と論争を繰り広げたという、ゴー宣のパール真論ではさんざん中島氏や西部氏を批判しながらもパール判決の在り方を語っていたが、本書では小林氏の批判がないといってもいい。まずはここで期待外れ。もう一つは裏の帯紙。中島氏は「自称保守派の法哲学の乱れを正す」と主張し、西部氏は「パール判事は進歩主義者であった」と主張している。

パール判決の前文にどこにそんなことが書かれているのか知りたいくらいである。しかもあったとしても前書き(しかもわずか)しか書かれていなかったので、逃げているといってもいいのではないだろうか。

東京裁判ではパール判事自身の思想心理は一切入っておらず、むしろ国際法学者として法(及び条約)の矛盾を突き、日本無罪論を主張した。当然起訴されたA級戦犯28人に全員無罪判決を出した。ただし全部日本は悪くなかったとは言っていない。「バターン死の行進」については情状酌量の余地なく日本を非難した。

さて序章において西部氏は「パールはある種ヒューマニスティックな立場をとっている(p.21より)」と言っているが、どこからそんな立場をとっているという証拠があるのかと言いたい。もしそうであればその主張がパール判決全文の中でどこにあたるのかというのを明示していただきたい。

第1章ではパールの生涯と東京裁判について書かれているが、生涯と裁判については別個のもと考えてもいい。パールの生涯はこうだったから東京裁判ではこうだったというのは明らかにお門違いだろう。インド人としてということも考えることもお門違いではあるが、パール真論においても矛盾を希求するあまり当時の首相であったネルーに連合国の刺激にならないようにと忠告されたということは事実であるが、パールは法に関して各国の軋轢によって歪曲されることを強く拒んでいたためこの忠告を拒否したことは有名である。が本書でも中島氏の「パール判事」でもガンジーイズムも入っているのではないかというのは明らかに間違っている。あくまで法律的矛盾をついたことで日本無罪論を主張したのである。

第2章では平和の宣言からパールの思想を解き明かそうそしているが、「平和の宣言」ではパールの思想は入っているにしても、日本への情愛や日本へ行く道について説いたものであり、絶対平和主義については意味すらこめられていない。確かに恒久平和については明記されているが軍備を持たずに平和を維持することはまず不可能と断言していい。もしそうなったとしたら中国やソ連(現:ロシア)、北朝鮮から侵攻され完全植民地になり日本人が奴隷化、もしくは虐殺されることになりかねないのである。

第3章ではパール判決所批判を行っているが、まず目についたのは「帝国主義批判」についてである。いくつか証拠を提示してはいるものの、本当に判決に書かれていたのかという疑いも捨てきれない。まして当時の日本は国名は「帝国」でありながらにして民主主義であったことは忘れてはならない。もし帝国主義であったとしたならば選挙は行うはずもなかっただろうし、国民が議員を選ぶ権限もなかったといってもいい。

第4章は割愛させていただくとして最終章ではパールは左翼思想家であると主張している。果たして本当に左翼であるのかという疑いが強くなってしまう。もしパール判事が左翼であったのであれば日本への情愛は皆無であったであろうし。広島での慰霊碑への憤怒は何だったのかと問いただしたくもなる。これについての文言が一切なされていないのはなぜだろうか。

最初にもいったが小林よしのり氏に対する反駁にもなっておらず、ましてやお門違いも甚だしい主張であったといってもいい。本書はそんな1冊であった。