お葬式―死と慰霊の日本史

「日本は死者の国である」

これは怪談で有名なラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が日本のことについていった言葉である。日本人は宗教によっては違えど、大概はお葬式は葬儀業者に頼んで通夜・告別式を経て四十九日というような順序で亡くなった人への供養をするという慣わしである。
このお葬式はどのような経緯でこうなっていったのか、民俗学的観点から考察している。

Ⅰ.「死と葬儀の歴史と民俗――高野さんの安居会公演より――」
本書は葬式の歴史であるが、民俗学というのは難しい学問だと思いがちだが、この章の冒頭には民俗学について非常にわかりやすく解説されているので、これから民俗学を学びたい方にはここから読み始めるといいだろう。民俗学を専攻して、これから葬儀の歴史の身を深く学びたいのであれば最初は読み飛ばしておくことをお勧めする。
当ブログでは「民俗学」の本はいくつか取り上げているのでちょっと簡単に解説する。
「民俗学」とは柳田國男が創始された学問で、主に各国の習慣がどのような経緯で意味があるのかというのを考察した学問である。学問であるから文献などの書物を読んで考察が中心とされていたが、柳田國男は文献は読んだものの、研究のほとんどが実学、いわゆるフィールドワークによって研究を行った。日本には数多くの慣わしがあるので、難しさはあれど親近感はある学問と言えよう。
その後はひたすら「葬式」ということについて書かれている。さて「死」というのが学問化されたのは20世紀に入ってからとされているが、これは社会学的に見たものである。哲学的に「死」について考察はされているが、おそらく本書では「哲学」という空論というよりも、現実世界としてある考察を重視したのだろうと考える。
「死」というとまず頭に浮かぶのが、死装束や、墓、霊柩車、火葬、出棺…。笑点のように笑い飛ばせられるようであればいいのだが、何せ本書は「葬式」にまつわるもの。挙げていくたびに縁起悪いように思えてならない。

Ⅱ.「慰霊と軍神――言語の文化と翻訳――」
第1部では葬式にまつわるものが紹介されていたが、第2部は少し視点を変えて、戦没者という所について民俗学的に考察を行っている。戦没者というと日本では靖国神社、アメリカではアーリントン国立墓地が存在する。ほかの国々にも戦没者慰霊の墓が存在するのだが、日本と他国で決定的に違う点がある。靖国神社では戦没者は祀られているが、それらは「軍神」や「英霊」と呼ばれている。一般的に日本のために殉死したものを「英霊」として祀られるが、日露戦争の時代においてよく使われ、特別壮絶な戦死者を美化して神化させたのを「軍神」として祀った。第二次世界大戦でも「真珠湾の九軍神」というのがある。
「日本は死者の国」であるが如く、葬式というのは宗教的なものであれど手厚く行われ、末代まで供養される。その葬式のスタイルも多様なものになった。そしてその葬式に関連した「おくりびと」という映画が注目を集めている。「おくりびと」は納棺にまつわる物語であるが、これも葬式での儀式の一つである。
葬式は宗教によりしきたりや形式は違えど誰にでもあるものである。本書は日本の、それも仏教や神道の葬式について取り上げたが、葬式がいかにしてなったのかというのも辿ってみれば面白い。

最初には言わなかったが、私自身「民俗学」は「旅の学問」と定義づけたくなる。この学問の創始者である柳田國男は文献のみならず、フィールドワーク、すなわち全国津々浦々を渡って研究してきた結晶を意味している。さらに普段あるものを辿ってみるとそれが様々なところから起源が出てくるのである種の「旅」になる。
民俗学は難しいように思えるが、そこには「旅」というのがあればけっこう面白い学問なのかもしれない。