なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか

当ブログ、及び前身の「蔵前トラック」では何度も取り上げた「光市母子殺害事件」。昨年の4月22日に差し戻し審にて被告の元少年に死刑判決が下った。さらに懲戒請求煽動訴訟は和解はされながらも付帯控訴をしており、現在も係争中であるが一応ほとぼりが冷めたということで一寸この本について取り上げてみようと思う。

本書は昨年の春に出版されたもので、元少年を弁護する21人の弁護団の一人であった今枝仁が元少年(本書では「F君」と表記している)の弁護にあたった日々について刻々と述べるとともに、今枝氏自身の弁護士生活にどう影響を受けたのかというのが書かれている一冊である。いつもは1章から順に感想を述べたりしているのだが、今回は光市母子殺害事件を最初に取り上げるため若干順番がずれる。

第1章「光市母子殺害事件[前編]〜解任劇の舞台裏〜」
第2章「光市母子殺害事件[中編]〜「大弁護団」内部での対立〜」
第7章「光市母子殺害事件[後編]〜元弁護人から見た光市事件の真相〜」
事件の内容についてはウィキペディアで明らかになっているのでここでは割愛しておく。ここではこの事件をめぐる裁判についてを取り上げる。最初にも書いたが今枝氏は21人の大弁護団の「一人であった」。というのは今枝氏は他の弁護士、とりわけ主任弁護人であった安田好弘との激しい対立により、解任されたのである。本書ではこの解任劇の舞台裏について詳細に書かれている。特に2章では他の弁護人との軋轢、特に安田弁護士との対立は壮絶だったことが窺える。その対立が頂点に達したのは最高裁の後半の予定日に弁護士数人が欠席し翌月に遅延したことについてのメディアに対する対応であった。本書では「子供の喧嘩」と言っているが、それほどまでに争っている姿を見て私たちは刑事弁護の在り方は何なのか、正義とは何なのかということについて疑わざるを得なくなった。刑事弁護は非常にリスキーな仕事であるのは見聞の範囲でありながらもある程度は理解できるが、その心労が重なってしまったという考えも見てとれる。もっとも安田弁護士はメディア嫌いであり、熱心な死刑廃止論者である。当人は死刑廃止の道具にしたら弁護士失格だと主張しているが、「年報・死刑廃止」に何度も光市母子殺害事件のことについて取り上げているのを見ると今枝氏も「(死刑廃止の)道具に使っているのではないか」と疑い出したとしている。それもまた対立を招いた要因と言える。
後編では事件の争点や真相について書かれている。

第8章「橋本徹弁護士による「懲戒請求」煽動問題」
光市母子殺害事件でもう一つ、諍いが起こったことがある。それは「光市母子殺害事件弁護団懲戒請求事件」というものである。一昨年の5月に某番組にて当時タレント弁護士であった橋下徹氏懲戒請求をしたほうがいいという発言により端を発した事件である。
私は橋下氏の意見に賛成であり、懲戒請求を行ったほうがいいという意見の持ち主であった。それから懲戒請求に関していろいろと勉強したことを覚えている。懲戒請求の在り方については橋下氏の主張には欠陥はあったが、良くも悪くも懲戒請求について風穴を開けた事件と言っても過言ではない。

第3章「心療内科病棟の中で過ごした青春時代」
第4章「夜の街から、司法の世界へ」
第6章「「ノキ弁」からスタートした刑事弁護人」
今枝氏の生涯は本書の見る限り波乱に満ちていた。高校1年で中退し引きこもり、心療内科に入院し、大学に入学するも別の大学へ再入学、水商売でのアルバイトを経て司法の世界に飛び込んだという人生である。今枝氏自身涙もろい性格であるがその人間性はこの引きこもり、心療内科の時代に形成付けられ、水商売でのアルバイトの経験は司法の世界で生きたことが窺えるところであった。

第6章「被害者とともに泣く検察」
第9章「刑事弁護の真髄」
刑事弁護というのは何なのか、刑事訴訟というのは何なのか、そこには法律を超えた人間と人間の理性を用いた戦いというのがあるのではないかというのが私の頭によぎっている。刑事弁護は被告人を助ける。「助ける」というのは無罪を勝ち取るか、もしくは減刑されるかというものである。
では刑事訴訟というのは何か、刑事事件を引き起こした加害者を裁く場と言えばそれまでではある。とはいえ最近では被害者が傍聴できる権利を有することもでき、さらには被害者が証言台に立つことも許されるようになったので被害者の慰めの場という解釈も見てとれる。
「刑事訴訟は誰のためにあるのか?」
国民のためなのか、被害者のためなのか、あるいは…。その答えというのは永遠に定まらない一つの命題であろう。

ほとぼりの冷めた時期に本書を読むと今枝氏の人間性というのがわかるように思えた。しかし本書をこの時期に取り上げた理由はほかにもある。もう何度も書いたが来月の21日には裁判員制度が始まる。おもに死刑や無期懲役を扱う刑事事件に関し、一審のみその制度が適用される。おもにこういった刑事弁護に関してだが、証拠や供述、事件の内容からして有罪は免れないものに限っているというが、あまりその考えには信用できないところもある。裁判員制度の開始はもう避けられない。刑事事件の在り方について様々な角度から考察しなおし、今後の裁判の在り方を議論するということもまた司法改革の一つの種と言えよう。
今枝氏の人間性、刑事弁護人、司法の在り方がよくわかる一冊である。