フーゾク進化論

フーゾクというとソープやデリヘルといったものを想像するだろう。法による数多く規制されている中でフーゾク業界は細々と続いているのも事実である一方、全面的に禁止しようとする人もいる。

ところでフーゾクというのはその国の風土や習わしという意味を持つ「風俗」とは意味が異なっているものの、平安時代からの古典文学からそれに準ずる物があることを考えると、フーゾクと風俗は意味は異なっているがそれに近い物があると思えてならない。
本書はフーゾクの歴史の中から戦後以後のフーゾクについて書かれている。

第一部「戦後フーゾクの誕生――敗戦から赤線廃止まで」
戦後の話にはいる前に戦前・戦中の話も交えてはなすことにする。それに関連している部分も多いからである。
戦前は兵士の性処理として「公娼」が存在した。国営のもので日本人がほとんどだったが、朝鮮人もわずかに含まれていた。今、歴史認識問題の火種の一つとして「従軍慰安婦問題」もこれらのことに関していっていることが多く、国々の感情をみても解決の糸口は皆無に等しい。
この「公娼」は戦後においてもアメリカ軍への慰安婦(RAA)というものが誕生し、国策売春を打ち出した。今となっては国際的にみても顰蹙ものであるが、当時は戦後の混乱もあり、こういった政策を打ち出す以外無いほど困窮していた。ちなみにこれに似た政策が韓国でも1960〜80年代の「キーセン観光」というのがある。ほかにも闇的なフーゾク活動を白昼堂々とやる「パンパン」についても取り上げられている。
この公娼制度は46年に廃止され、代わりにでてきたのが「赤線」である。現代フーゾクの草分け的存在といわれてきたものであり、主に新宿や当時の「吉原」など数多くのの地域で誕生した。当時は「アルサロ(アルバイト・サロン)」、「ステッキガール」、「浮世風呂」、「座ブトン売春」、「ネグリジェサロン」というのがあった。この他にも「青線」や「白線」、「黒線」といったものも存在したが、いずれも1958年の売春禁止法により廃止・消滅してしまった。

第二部「フーゾクの開花と進化――六〇・七〇年代の高度成長」
赤線廃止前後にあった「アルサロ」、「ピンサロ(ピンクサロン)」、「ステッキガール」、「ネグリジェサロン」、それに加えて「トルコ風呂」についてここでは取り上げられている。ちなみに前述の「トルコ風呂」は、この名になったのは1984年末からであり、当時はこう呼ばれていない。当時の名は「浮世風呂」や「温泉サロン」というような名前で売り出しており、本番をやったりするというようなことはいっさい無かった。

第三部「ニューフーゾクの拡大――新風営法以後の新商法」
フーゾクは進化し続けており、ここでは80年代以後のフーゾクについて取り上げられている。80年代初頭には「ノーパン喫茶」というのが大流行し、一躍話題となった。しかし84年の風営法改正により廃止されたが、この他にも現在でも存在するファッションヘルスやイメクラというものも80年代に誕生している。店だけではなく、「テレクラ」が誕生したのも80年代であり、その後は「出会い系サイト」という形で受け継がれている。
80〜90年代はヘルスや交際といった名を打ったものが続々と誕生したのだが、2000年代になると、前述のような「出会い系」といったものが登場している。

フーゾクは数々の法規制をされながらも様々な進化を遂げてきていながら、無粋かもしれないが吉原などの遊郭をさかのぼってみても歴史のある文化と言ってもいいのかもしれない。しかしフーゾクというのは本書で紹介しきれなかった「ラブホテル」などの視野を広げてみるとその幅というのは私たちの想像するものよりも広く、かつ深いものかもしれない。歴史や文化から鑑みてもフーゾクは奥が深い。本書を読んでそう思った。