人生の醍醐味を落語で味わう

「落語」は江戸時代に能・狂言から派生してできたとされている。言葉と扇子・手拭いでもって人間味や情緒、滑稽さを言葉を使って表現するのだから日本語の可能性を見いだすことができ、なによりも面白い(泣きも笑いも含めて)。落語は言葉ばかりではなく、人生において大切なことがぎっしりと詰まっており、噺の数だけ面白さのパターンがある。本書の著者である童門冬二氏もまた落語に魅せられた一人であり、これまでも落語にまつわる本を数冊上梓している。

本書は人のつきあい方、家族といった「人」というところに重きを置き、人間の温かみ、人生の尊さを噺を通じて、さらに著者自身の生い立ちも交えて説いた一冊である。

第一章「困った人付き合いに効く落語の一言」
社会人・学生に限らず、「人付き合い」というのはつきものである。とりわけ社会人は付き合いたくない人、上下関係にある人などの付き合いが多い。本章では「理不尽な上司」「リーダー」「嫌いなものを押しつける人」の付き合い方について落語の演目の解説を交えながら紹介をしている。人付き合いを円滑にするだけではなく、江戸落語独特の「粋」を相手に植え付けさせることにも一助があるのかもしれない。

第二章「イヤな仕事に楽しむ落語に知恵」
イヤな仕事と落語の関係は結構ある。前座の前に楽屋入りする前として「見習い」の仕事がある。師匠の家で雑用をこなしながら、礼儀を知る修行である。それを知った上で晴れて楽屋入り、落語家としてのキャリアがスタートされる。
世の中雑用と呼ばれる仕事など自分でも嫌になる仕事が多い。川上氏の本にTVで大人気の明石家さんまの師匠である、二代目笑福亭松之助師匠の話が書かれているが、つらい仕事をどのようにしたら面白いのか考えるということについて説いている。
本章では「ストレス解消法」などの処方箋噺が挙げられている。

第三章「家族の人情を描く落語の名場面」
落語は常に「笑える」噺ばかりではない。時には「泣ける」噺もあれば、「恐怖」を味わえる噺も存在する。「泣ける噺」というと専ら人情噺、「恐怖」と言えば怪談噺がある。本章ではとりわけ「人情噺」をピックアップしている。人情噺というと昨年亡くなられた五代目三遊亭円楽を思い出す。師匠が若いころ滑稽噺を得意としていたが、晩年は人情噺中心となり、とりわけ「浜野矩随」は絶品だったことを思い出す。

第四章「憧れる? 呆れ返る? 落語的生き方のすすめ」
人は生きる上で、「こんな人になりたい」「こんな大人になりたい」という人を見ることが1度か2度はあるだろう。本章ではまさに「落語」と呼ばれるほど、滑稽な人たちがたくさん登場する。「普通」と呼ばれる生き方を改め、こういった生き方をしてみてはどうかという示し(?)になる章である。

本書を読んでいくと、どのような悩みを抱えていて、それにまつわる処方箋の話を教えている、あたかも「落語のソムリエ」といった役割を本書は果たしているように思えてならない。それなりに知っていても、なかなか踏み込むことのできない所まで著者は何度も聴いていることによって為せる技であり、それを為し得るのが著者と言えよう。